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エンジニアリング会社のシニアエンジニア、事業主側の名門財閥系不動産デベロッパーへ

エンジニアリング会社のシニアエンジニア、事業主側の名門財閥系不動産デベロッパーへ

No.1118
  • 現職

    一部上場 財閥系総合不動産デベロッパー 本社勤務 総合職

  • 前職

    一部上場 大手エンジニアリング会社 シニアエンジニア

染谷 博嗣 氏 36歳 / 男性

学歴:東京工業大学 工学部 金属工学科 卒
東京工業大学 大学院 理工学研究科 修了
TOEIC 745点
体育会サッカー部 卒部

はじめに

どういう人間がどのような想いで転職を決心し、挑んだかを僭越ながら記します。参考になれば幸いです。

学生時代と新卒での就活

これは後に今回の転職の面接でも包み隠さず言うことになってしまいましたが、私の学生時代は、サッカーに明け暮れ、国語ができなくても入れそうだからと選んだ国立大学に通い、何となく潰しが利きそうだからと専攻した金属工学科で学んでいました。そんな私が就活の時期になったからといって、都合よく明確な何かを見つけられるはずもなく、漠然と「研究職よりもチームで働くようなプロジェクトものの仕事がしたい」、また「世界で働けるビジネスマンになりたい」といった何とも稚拙な2つの想いを胸に、プラントエンジニアリング会社に入社しました。

入社後から今日迄の実務経験

前職での実務は、入社前からのイメージ通りでした。
私は主に機材の設計に携わりました。日々の業務や発生するトラブル対応等を、各部門に在籍する様々な専門家の英知を結集して一つずつ遂行、解決していくことは、まさにプロジェクトものの醍醐味であり、充実した日々を過ごしていました。また中東における建設現場駐在では、プラントのスケールの大きさやそこで働く様々な国籍の人々が入り乱れる職場に圧倒されました。特に記憶に残っているのは、砂埃に覆われた摂氏50度にもなる現場を歩き回っての設計チェック業務です。自分の背丈より大きな配管下の僅かな隙間を無我夢中で泥だらけになりながら匍匐前進している時は、「俺は今、生まれて初めて本気の匍匐前進をしている」と、何の会社に入社したか分からなくなりかけましたが、とにかく、精神的にも肉体的にも鍛えられました。

本当に様々な貴重な経験をさせて頂いたことで、気がつくと、タフでマルチナショナルなマインドを持ったビジネスマンと言ってもいいかな、という程度には知見が身に付いていました。それは、要素技術の知識のほか、外部・内部環境の現状分析、問題発見と目標設定からの解決策立案、顧客との粘り強いコミュニケーション、同じゴールを描き、国籍、年齢多岐にわたるメンバーを束ねるリーダーシップをはじめとするプロジェクトマネジメント能力、といった具合です。

転職するに至った背景

プラントエンジニアリングは、プラントオーナーとなる顧客の契約に縛られながら、ジョイントベンチャーパートナーや世界中の製造業者らと協業し、かつ天候や各国特有のリスクを把握し、コントロールしつつ、業務を遂行します。ゆえに、基本的に厳しい状況下に晒されています。大変な仕事でしたが、会社として遂行している業務自体には魅力を感じていました。やりがいと表現してもいいかもしれません。

しかし、10年も勤務していると、そのやりがいのある仕事の捉え方が、新卒の時のそれとは異なってきていることに気づき始めました。
入社当初の2つの想い「プロジェクトものの仕事がしたい」、「世界で働けるビジネスマンになりたい」については、ある程度の満足感を得ていました。要は、入社時に掲げた目標が達成されたのです。それと同時に、「会社に求められる人材=社会で求められる人材」と自信を持って表現できていた自分の成長の指標に対して、今後はこの等式が成り立たなくなるのではと、キャリアが尻すぼみしてしまうような危機感を覚えました。加えて、請負業ゆえの自由度の低さや繰り返しの業務にも物足りなさを感じるようになり、同じプロジェクトものでも関わり方を変えて、事業主側で仕事がしたいと思うようになりました。

こうして、あと少なくとも30年は続く自分のキャリアを本気で考え直し始めました。
(株)エリートネットワークの転職カウンセラーである高橋さんから不動産デベロッパーへの転職を提案して頂いたのは、このような時でした。

転職の決め手

そこから不動産デベロッパーでの仕事を調べれば調べるほど、その提案はこれまでのモヤモヤを吹き飛ばすものであるように思えてきました。先に挙げた事業主側で仕事ができることに加えて、オーナー所有物となるプラントでは難しい、完成品を見ながらプロジェクト関係者や利用者と一緒に喜びを分かち合えることが非常に魅力的でした。実際に、私はこの不動産デベロッパーが携わった施設を頻繁に利用させて頂いており、来場者の楽しそうな顔を間近で見ていたのです。

人々の暮らしに密着した素晴らしい仕事をしているなという羨望の眼差しが、当事者意識になった途端、誰かの為に働きたいという自分の根源的な欲求や夢に変わり、それを実現し、より実感できるチャンスだと思うようになりました。
また何より、求人票に記載のあった「社内外の利害関係の異なる関係者とリーダーシップを持ってプロジェクトを推進できる人」という求められる人物像が、無理なく今の自分に一致すると思えたこと、そして「自分なら貢献できる」と純粋に信じることができたことも、転職を志す決め手となりました。

転職活動

勇気付けてもらおうと、「私が採用される可能性ってどの程度ですか?」と何となく聞いた質問に対して、高橋さんからの回答は、「五分五分です」だったのをよく覚えています。
気持ちの良いくらいにピシャッと言われ、ではどうやったら後悔なく効果的に面接を受けることができるのかを考えました。一方、どうやったら採用されるかといった、お互いにとって不幸になりそうな小手先感のあることは意識しませんでした。

採用といっても、複数の選択肢の中から最適と思われる決断をするプロセスに他なりません。これは仕事でよくある話。面接の場合、意思決定するメンバーに対するインプットは我々の履歴書、職務経歴書、志望動機書です。つまりそれらのインプットがあるにも関わらず、わざわざ時間を割いて説明を聞いて頂けるのです。普通自動車免許しか資格がない自分にとっては絶好の機会と言えます。

そこで、面接の目的は ①資料に嘘がないかの確認 ②再現性があるかの精査だと仮定し、対策しました。「私は現会社に〇〇円の利益をもたらしました!」といったアピールをぐっと堪えて、逆に相手の質問、聞きたいことに対して真摯に回答しました。その中で、自分のコンピテンシーが発揮された部分を可能な限り伝わるようにということも心がけました。また、分かりやすいことを大前提に、面白いと興味を持ってもらえそうなエピソードトークがあれば尚良しと一方的に信じて挑みました。

面接は、今までの自らの人となりを振り返るきっかけになりましたし、またその自分の話を聞いて頂けること自体に喜びや感謝がありました。加えて、私が採用されたことは結果論でしかありませんが、少なくともその人となりを伝えることができた実感があったので、その時点で満足感を得ることができました。

次の職場に賭ける意気込み

個人的に仕事はどういうものか体系的に整理していたことも手伝って、次の職場でシームレスに活かせる自分の性格や能力、逆に、一から学んで習得しなければいけない分野がある程度明確なため、ほとんど不安はありません。それよりも、新しい場所で、新しい人と、新しいことに挑戦できる喜びで満ち溢れています。
また、勝手に前職の看板を背負ったつもりでいます。この背負っているものに支えられてもいるようなポジティブな感覚を得られるのは、転職ならではかと思います。

最後に、今回運良く、このような素晴らしいチャンスを得ることができましたが、全ての始まりは高橋さんのご提案です。この場を借りて、改めて高橋さんにお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

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