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執行役員、任期満了で更新されず。苦難乗り越え、一部上場企業の管理本部長に就任

執行役員、任期満了で更新されず。苦難乗り越え、一部上場企業の管理本部長に就任

No.1300
  • 現職

    一部上場 大手不動産デベロッパー 管理本部長

  • 前職

    一部上場 (株)リクルート 住宅情報事業部門 法人営業Mgr
    一部上場  不動産開発会社  人事部長
    一部上場 人材サービス会社 人事部エグゼクティブオフィサー 及び 子会社取締役
    株式公開を目指す建築請負会社  執行役員 人事総務本部長

角川 二郎 氏 56歳 / 男性

学歴:群馬県立 前橋高等学校 卒
     ラグビー部
東京大学 経済学部 経済学科 卒
     ラクビー同好会

宅地建物取引士
日商簿記検定2級
社会保険労務士試験合格
TOEIC:785点

今からまだ数か月前の2月末、私は今となっては前職にあたる会社E社の社長から会議室に呼ばれ、執行役員の次期契約を更新しない旨を告げられました。任期満了まであとわずか1か月という状況でした。その2年前までは、E社は急成長を続けていましたが、業界特有の金融事情の急変を受けて業績が一気に急降下、オーナー経営から大手経営資本(Sグループ)への事業譲渡により、Sグループ企業の一員として再出発していたものの、金融事情は好転せず業績が低迷したままコロナ禍も加わり、一時帰休や希望退職をそれなりの規模で実施もしていました。

そしていよいよ翌年度(=今年度)は残ったメンバーで黒字転換目指して頑張ろうと張り切っていた矢先でした。親会社の意向で取締役や執行役員も大幅に減らす方針となり、その中の1人に私も含まれる事となったという説明でしたが、これまでE社発展のために取り組んできたことへの自負、そして委任型契約であると言ってもあまりにも急な話である事等、正直私には俄かには受け入れ難いものがありました。

丁度その時期は長女がめでたく大学卒業→就職を迎え、また親族の結婚式もあり、全く何の準備もない中で新年度から直ぐに転進先が見つかるはずもなく、いきなり“退職確定→無職”という状況に陥った中で娘や親戚を祝福する場面は流石に堪えました。

今後の仕事にプラスになるだろうと社労士試験を受験し、前年に合格していたので、健康保険の任意継続保険加入手続きや国民年金加入手続きをする事自体に違和感はありませんでしたが、まさかこのタイミングで自分の手続きをすることになろうとは、思いもよりませんでした。

幸い子供が2人とも社会人として独立し、家内も会社に勤めており、家族にも応援してもらいながら、家庭の事情はあまり気にせず転職活動に取り掛かる事ができました。これまでキャリアアップを目指し、或いは人の縁により計3回転職をしており、E社で最後まで頑張るつもりでいましたが、今回初めて会社都合でいきなり放り出された格好で、年齢が年齢でもあり、コロナ禍という環境下で正直かなり不安な心理状態での転職活動となりました。

人材紹介会社を中心に活動しようという考えは決まっていましたが、時間の余裕もなく全く案件を紹介されないかもしれないという危惧もあり、先ずは可能な限り登録や相談を行いました。それと並行して、これまでお世話になっていた元上司や先輩に、退職のご挨拶を兼ねて連絡を入れ、可能な範囲で直接お会いしたりもしました。いざコンタクトをとってみると、意外なことに、複数の人材紹介会社の方から実際に案件をご紹介いただいたり、また私よりも社会人経験も実績も遥かに豊富な諸先輩方から、実に様々なアドバイスや励ましの言葉を頂くことができました。

中には、ベンチャーのスタートアップ企業の幹部として具体的に推薦して下さる方もいて、大変ありがたかったです。紹介打診していただいた案件は自分なりに検討しつつ、社会的貢献度や将来性、責任度合い、経営体制を判断基準に置きつつ、何はともあれ選考過程に入る事も重要かと思い、気持ち幅広に応募意向を表明しました。

思えば今から34年前、私の新卒としての就活は、当時バブル期で求人需要が旺盛、一方で就職協定がしっかりと守られ、面接解禁から一斉にどっと動き出し、数日であっという間に複数大手企業から内定をいただくというような状況でした。そんな中で情報広告を柱として急成長していた株式会社リクルート(後年上場して現在も更に成長中)には、人の魅力と明るい社風、成長ビジョンを感じ、こうしたフラットな環境で自分も一緒に成長したいと思い、私は大手企業の内定を辞退して株式会社リクルートへの入社を決めました。大学受験浪人中に父親を癌で亡くし、できれば20代の若いうちから高めの収入を得たいという思いもありました。

幼少~学生時代は、サッカーやラグビーといったチームスポーツに没頭し、主将や副将を務める事も多く、常に自分の実力を磨きつつチームプレーで勝利を目指す、というテーマがあった中で、その価値観がそのまま仕事環境の重視要素に繋がる感覚もありました(実際、株式会社リクルートでも30歳ぐらいまで社会人ラグビーの活動も行うことになりましたが)。また、父親が転勤族で小中学校は転校が多く、今から思えば、転校先で早く新しい友達を作るにはどうしたらよいか、という意識が当時は強く、チームワークや円滑なコミュニケーション重視という姿勢はその時に自然と身についたのかもしれません(その意味では、クラスメートと早く馴染むのにスポーツを通じた遊びは大いに役立ちました)。

株式会社リクルートでは新卒採用部門に配属され、その後営業現場で頑張りたいと考え、自己申告制度を利用して住宅広告営業部門に異動、入社5年目でマネージャーに昇進、インターネット黎明期にはネットビジネス部門に異動し(法人営業及び営業支援)、その時に事業提携先であった超大手企業のネット事業専門子会社に出向してネットショッピングモールの開拓営業にも従事しました。その後同社の元上司との縁でL社に転職し、ネット事業、広告、人事部門に携わり、特に後半は人事部長として、東証での市場変更(JASDAQから一部へ)を挟み、労務管理を始めとした人事分野の整備に努めました。

リーマンショック対応が一段落した後はC社に転職し、やはり当時東証の市場指定替え(JASDAQ→二部→一部)というテーマがあった中で、契約社員の労務管理整備、又、当時M&Aしたばかりでまだ赤字であった子会社の役員として黒字化を果たす等、新たなキャリアを積み上げました。そのC社で励んでいた中で、L社の創業者で大変お世話になった方と接点があり、その方がL社を退任後新たに設立していたE社のお手伝いをする事となり、それが縁で私はE社に転進する事となりました。E社には東証上場を目指すという目標があり、私は、人事部門の責任者としてそれまでの経験を踏まえ任にあたりました。その結果、人事部門の各ジャンル・課題共、上場企業レベルにふさわしい体制にまで持っていくことができました。

上記の内容を履歴書と職務経歴書に纏め、57歳を迎える直前の時期に、私は気持ちを切り替え新たな転職活動に踏み出しました。応募打診していただいた結果、予想以上に多くの面接依頼が入りました。面接に入る前段階の準備として、私は必ず応募先企業のHPや経営トップの情報を時間をかけて隈なくチェックし、上場企業の場合は勿論『会社四季報』にも目を通し、自分がどのように応募先企業に貢献できるのか、具体的にイメージしておくことを心掛けました。

時節柄オンライン面接を設定という話も中にはありましたが、私は一貫して対面での面接を希望し、実際全ての面接を対面で実施していただきました。面接は、最初から経営トップとの場合もあれば担当役員の場合もありましたが、文字通り一回一回全身全霊をかけて臨みました。

お蔭様で面接結果はほぼ毎回良好でした。また、異なる業態の企業と面接を重ねていくことで、私の強みや期待されていること、想定処遇水準も徐々に見えてきました。想定ポジションは経験値のある人事部門が基本路線でしたが、面接結果の企業側の反応として、未経験である経営企画部門であったり、社長補佐のようなポジションへの期待値が多かった事は意外でもあり、又、前職の時から将来は目指したいと内心抱いていた分野でもあったため、嬉しく思うと同時に是非チャレンジしてみたいと考えるようにもなりました。

先ほど書きました略歴の中で、人事分野以外にも様々な部門やポジションを経験し、実績を積んできた事が高評価に繋がったようです。4月の2週目あたりから面接を中心に毎日のように何らかの予定が入り、娘からは「まるで新卒の就活みたいだね」と言われるような状況となりました。ただし、気を抜くどころか、私はそれでもこれはあくまでも限りがある中での転進活動であると自分に言い聞かせ、自分が進みたい道は何処にあるのか、どんな力を発揮できるのか、どの経営トップの方の下でどのように仕事に邁進したいのか等々、納得のゆく結論に向け、日々考え、諸先輩や人材紹介会社のご担当の方のアドバイスに耳を傾け、気持ちを整理し続けました。

こうして最終的にありがたいことにGW直前には複数社から内定オファーを頂くことができました。そしてGW中に最終的な方向性を、直観も大事にしつつとことん考え続け、私はM社にお世話になることを決断し、5月下旬から勤務を開始することとなりました(5月半ばの57歳の誕生日もホッとした状態で家族から祝ってもらえ、良かったです)。

結果的に複数の選択肢を頂けたことは、気持ちの上でも大変ありがたい事でした。そして何と言っても、各人材紹介会社のご担当の方々の動きはとても頼もしくもあり、その存在感を改めて強く感じました。と言いますのも、内定オファーをいただいたどのポジションも、最初から募集枠として明確にあったものではなく、企業トップの課題感や期待感であったり、人材紹介会社のご担当者からの提案であったり、或いは面接の結果トップの方が考えついた、というように、決して既定募集ポジションとして公表されるようなものではなかったのです。

人材紹介会社の方の中でも、今回転職先をご紹介いただきました、エリートネットワーク社の松井社長には特に大変お世話になりました。ご紹介や段取り設定の早さとマッチングの的確さ、履歴書&職務経歴書をはじめとした丁寧なアドバイスは、かなりありがたかったです。深い教養と経験、幅広い業界知識を背景に、微に入り細に入り常に論理的且つ懇切丁寧に話をして下さる松井社長のスタンスは他社の比ではなく、松井社長のお陰で私は、応募先企業と自分自身とを、いつでも客観的な立ち位置から冷静に考察を加えることができました。

M社に入社してまだ2か月足らずの状況ですが、私の中では、上場企業としてM社が更にレベルアップできる課題がまだまだあると認識しており、それに対して私が具体的に貢献できることも多いのではないかと感じています。そうした課題に取り組むことで、M社の社員が今後更にモチベーション高く仕事に取り組んで成長し、M社も成長発展を遂げられれば、何も言うことはありません。E社から任期を更新しないと言われた時の状況を考えれば、今こうしてM社が私を必要と判断して採用していただき、実際に私が課題に取り組んでM社の業績向上に貢献することを期待されている状態は、この上なく幸せなことだと実感じています。

ただ忘れてはいけないのは、何歳になろうが常に当事者意識を持ち、会社と社員双方の発展のために困難な課題にチャレンジし続ける、という姿勢です。この姿勢は、私が新卒で入社した株式会社リクルートから学んだものであり、社会人として基本中の基本だと考えています。これを実践し続けることで、気がついたら自分に力がつき、自覚していなくても結果的に周囲から評価されているものだと今回実感しました。また、これまでの各キャリアの中で、仕事に役立つであろうと考えて取得してきた資格(宅建士、簿記2級、社労士等)についても、その後のキャリア形成にプラスに繋がっているという事に改めて気がつきました。

私のような年代の転職活動そのものについても、チャレンジと勇気ある行動が必要不可欠だと強く思いました。それなくして今回のような結果には絶対に結びつかなかったであろうことはハッキリと言えますし、自分自身の決意と思いの強さが相手にもプラスに伝わるものなのだろうと思います。先ずは恥やプライドを捨てて誰にでも懐をさらけ出して自らアウトプットする、というところからでしょうか。

今回私の場合は、自分がやってきた事にそれなりの自信はありつつも、失うものは何もない状態と言いますか、自分の良さや価値はわかる方にはわかるはずであり、兎に角必死に動いて良い転職先を見つけるしかない、という追い込まれた状況であった事がかえって良かったのかもしれません。

転職活動中、或いは検討中であります私と同世代の皆様の思いがいい形で実を結びますよう、祈念して 『転職体験記』 を終了とさせていただきます。

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