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1級築炉技能士、家業の築炉工事会社から、独立起業の後、大手総合重機械メーカーに。

1級築炉技能士、家業の築炉工事会社から、独立起業の後、大手総合重機械メーカーに。

No.721
  • 現職

    東証一部上場 大手総合重機械メーカー エネルギー環境事業部 プロジェクト室
    建設部  耐火物の設計・施工監理担当

  • 前職

    家業の築炉工事会社 築炉設計 兼 技術営業
    → 築炉工事会社 代表取締役社長 (独立起業)

久保 高信 氏 38歳 / 男性

学歴:名城大学 商学部 商学科 卒
ビジネス・ブレークスルー大学院 経営管理学部(MBA) 修了
1級築炉技能士

始まり

私は今年39歳になるまでの16年間 「築炉」 という仕事に携わってきました。築炉というのは読んで字のごとく、炉を築くという意味です。私が手掛けてきたのは、比較的大きい炉であり、例を挙げるなら、都市ごみ焼却炉、金属の溶解炉や精錬炉などです。これらの炉は社会インフラや産業にとても深く関わっており、私には日頃から築炉を通じて国力に貢献しているという自負がありました。

なぜこの築炉という業種を選んだのかというと、親が築炉の会社を経営しており、大学を卒業と同時に入社したからです。世間一般的な考え方では、親の家業を継ぐなら、4〜5年は他社で修業を積み、俗に言う外の飯を食うのが当たり前でしょう。親の力に寄り掛かって生きていると言われても仕方がない有様でした。

大学生の頃

私が20歳頃に、その後の人生に大きく影響を与えたAさんとの出会いがありました。Aさんは私よりも10歳年上で、この頃には既に起業されており、次はITインフラの事業展開を図るような人物でした。このAさんの影響もあり、次いで親も経営者ということもあり、この頃から自分も漠然と経営者になりたいという思いを持つようになりました。

大学4年生になると周りの友人は皆、就職活動を始めましたが、折しも就職氷河期の最も深い谷の時代であったと記憶しています。何社か最終面接まで残りましたが、どれも経営に近い仕事ではありませんでした。心の底からやりたいと思える仕事は無く、この積極性の無さは明らかに面接の態度に表れていたと思います。

2001年

ちょうど仕事が面白くなってきた頃であり、焼却灰溶融炉の新規建設を通じて、環境ビジネスに興味を持つようになりました。この頃の新規建設では、パテント元のメーカーと一緒になって融点の高い焼却灰に水酸化ナトリウムを加え融点を調整し、研究用の電気炉で実験するなど、プロジェクトの本質に迫るような体験ができました。

この頃Aさんは数か月後の株式上場を目指し奮闘していましたが、その前段階の資金調達が上手くいかなかったようで、Aさんの会社は某IT企業に買収されました。買収先の社長に手腕を見込まれたAさんは買収先の社長の考えに共鳴し、歓迎される形で新会社の役員として迎え入れられました。Aさん以外の役員は全員解雇でした。私はこの頃Aさんから事業計画書の書き方などを教わり、買収の話などで、完全に影響を受けた私は、自分も必ず上場企業を作るという目標を立てました。丁度この頃Aさんから 「浮利を得ず」 ということを教わり、以後私の仕事における信条としてきました。

2009年

1999年からこの仕事を始めて10年間、これまで多くの築炉のプロジェクトに携わり、経験値を積み上げてきました。しかし2008年秋に世界中を襲ったリーマンショックの影響は、吹けば飛ぶような中小企業にも大きな影響を与えました。

この頃、会社の主な収益源は自動車関連の下請け業務と、公共工事のプラントメーカーの下請け業務の2本立てでした。公共工事は社会インフラ事業なので影響は無いと予測しましたが、自動車関連は大打撃を受けるであろうと予測した私は、既存の仕事は先細りするものとして、敢えて旺盛な新規受注を目指しました。

この時の戦略は顧客満足のみを追求する1点です。これが当たりに当たりました。一例を挙げると、リーマンショックの影響を受けて、人員整理されたお客さんの部署は50人から30人に減らされましたが、業務量は同じということで、あたかも繁忙期のようになっていました。

この部署から都市ごみ焼却炉の新規受注を目指していた私は、設計業務をお手伝いすることで受注活動を競合他社より優位に進めることができ、見事に受注を勝ち取ることに成功しました。
2009年はこの顧客満足のみを追求するやり方を横展開して、顧客ごとにビジネスモデルを組み立て使い分け、ポンポンと受注を得た私は猛烈に忙しく働いておりました。

この年は会社も自動車関連で極端に受注を減らした分を、新規受注で取り返すことができました。しかしながら、新規受注は結構な安値で受注をしており、どうやって利益を出すかは受注後に考える有様でした。
この頃から 「浮利を得ず」 を仕事の信条とする私と、「利益は取れる時に取れるだけ取る」 という当時の社長との考え方に溝が生まれ、その溝は短期間で深まり、あっけなく袂を分かつことになりました。

起業

2010年4月に自分の会社を立ち上げました。当初の見込み客のアテが外れるなど計画通りいかないこともありましたが、前職でお付き合いのあった方々からの勿体無い援助もあり、初月から受注は概ね順調にスタートすることができ、新規の取引先も獲得することができました。
また、初年度に儲けたお金でMBA大学院に入学することもできました、思い切ってチャレンジして報われれば、また次の目標に挑戦したくなる。私にとって起業は利益云々より、自ら成長したいという想いを、そのまま躊躇せず行動に移せる気性へと変えてくれた大きな転機となりました。MBA大学院では、素晴らしい友人と出会い、生涯の伴侶とも出会って皆に祝福され、これ以降の人生が大きく変わったと言えます。

しかし、4年間の起業活動において、どうしても解決し難い障壁がありました。それは人材の獲得です。受注は順調に推移していたのですが、人材の獲得が全く持って上手くいかない、採用しても2か月足らずで辞めてしまう。勿論、ハローワークにも通年で募集をかけ、更に、若年層の引き籠り支援団体にも掛け合ったりもしましたが、どれも梨の礫でした。

そのような状況でも助けてくれる方々に恵まれ、仕事は順調にこなしていました。築炉業界は全国でも技術者の絶対数が少ないので、一定のスキルがあれば仕事に困るようなことは無い業界だと思います。しかし、人材が獲得できないことは、会社が成長できないことと同じです。私は特にMBA大学院の同期がグローバルに活躍する姿を目にしていたので、会社が成長できないのは、自身の成長するチャンスも逃している、できれば40歳前に自らの成長や新たな挑戦のために活躍の舞台をステップアップしたいと思っていました。

2001年より、Aさんに追いつき追い越せを目標に自らも起業し、MBAも取得しました。しかしながら、会社は一向に成長させることができない、一零細企業の限界を激しく思い知らされる日々です。
この春に折しも子供を授かり、家族のこと、自分の仕事のことを深く考える機会がありました。私は起業で成功し、Aさんに追いつく目標をスパッと諦めました、13年やって芽が出ないのは起業家には向いておらず、別の方法で得意分野を求道するべきと覚めました。そしてこれから先は自らの会社に拘らず、家族を優先し、仕事も純粋に成長できる機会を求めることにしました。

東証一部上場 大手総合重機械メーカー

ゴールデンウィークも明けた5月半ばに築炉のキーワードで引っかかった一つの求人票を見つけました。会社名は伏せてありましたが、上場企業であるならば企業概要を見ればおよその見当がつきます。さっそく、応募欄の(株)エリートネットワークに登録し、早速に面談して頂ける運びとなりました。

築炉業界で15年の経験を積んでいる私ですが、大きな弱点があります。築炉の業界は設計を含む理系寄りの人材が求められる業界ですが、私は文系出身のため基礎工学を学んでいないことです。つまり、築炉経験15年というキャリアのみしか訴求できるものがありませんでした。今回は、書類審査をパスするか否かも危うく、全く自信がありませんでした。勿論、カウンセリング時には、この点の懸案も相談させて頂きました。
最終的に、今回の募集に関して応募するか? 止めるか? の私の意思確認をされた時に、ようやく私の覚悟も決まりました。「必ず内定を得る」 と。

この面談の時、転職カウンセラーの高橋さんに、“求人内容ばかりに目を向けるのではなく、同社の全体を俯瞰し、同社の総合職になる人間としてどんな貢献ができるかを考えた方が良い” とアドバイス頂きました。
転職活動において最初に目指すべき方向はとても重要だと思います。この指針がなければ、私の転職活動はおそらく無手勝流になって、採用もされなかっただろうと思います。

幸いにも書類審査をパスし、早速1次面接を受けることになりました。
面接に臨むに当たり、高橋さんからは5つの質問を用意して問い掛ける、という手法を教わりました。これは良い質問をするためには6時間かけてホームページを熟読し、50の質問を考え、5つに絞るという方法です。

私は金曜日に面接連絡を受けてから、明くる月曜の面接日までに6時間以上かけてホームページを隅から隅まで拝見し、最新の決算書と中期経営計画、各プレスリリースを読み漁り、ついでに大手重工6社の売上、利益率、EBITDAを比較し、応募企業の立ち位置を把握することもしました。

質問も50は挙げることができませんでしたが、40弱から5つに絞り、濃い質問に仕上がったと思います。また、競合他社の方から応募企業の印象を教えて貰ったりと、情報収集にも励みました。

面接当日はとても緊張しました。それもそのはず採用面接を受けるなど15年振りなのですから。1次面接は3部構成となっており、最初に人事の方と会社説明と質問、次いで環境エネルギー事業部の採用担当の方の事業部説明と質問、最後に事業部の役職に就いておられる方々3名による面接という流れでした。
やはり役職の方々の面接は鋭い質問や、答えに窮するような質問も多かったです、私は必死になって説明しました。用意した質問も5個中4個は聞くことができました。残り1個は面接の呼応の中で出さない方が良いと判断し取り止めました。

その甲斐あってか、1次面接はなんとかパスしました。また2次面接の前にSPI試験を受けて欲しいということでしたので、SPIの赤本のようなものを購入し、一通り勉強してSPIを受験しました。久し振りに受験勉強したことで日頃から地頭を鍛える必要を再認識しました。

二次面接の前に今度は、グループ全体について調べ、事業精神を学んでから面接に臨むことにしました。

二次面接は本社で人事部長との面接でした。結果的にこれが最終面接となったのですが、私はまだ油断してはならないと思い込み、あくまで2次面接であるという姿勢で臨みました。大学生活から現在に至るまで、予想外な質問も多く、今回も必死に答えました。私はこの築炉の分野では誰にも負けない専門家を目指すと決めておりましたので、そのことを正直に申し上げました。長く続けてきたキャリアは捨てずに、拘り生かしたいという思いがあり、その思いは1次面接の時より強くなっていました。
面接の終わりに、入社後にどのような経験を積み、どのような働きを期待されるかという点について質問させて頂きましたが、人事部長はCFBボイラ事業で例えられ、築炉の専門性を更に深め、他の分野も収斂し、且つ、それらをグローバルにできるようにして欲しいということでした。
2次面接終了後は、やれるだけやり切った感がありましたので、とても清々しい気分でした。本社を出てすぐエージェントの方に面接終了の報告をしました。
面接翌日に応募企業である東証一部上場 大手総合重機械メーカーから内定を頂きました。支えてくれた家内と、力添えを頂いた転職カウンセラーの高橋様にとても感謝しております。

私は環境やエネルギーの分野の最先端に挑戦し経験を積みたいという希望を長年持っていました。自分の会社でその目標を達成することも考えましたが、しかし、業界で末端の中小企業の限界も感じていました。また、家内を始め、大学院の同期らは世界中を飛び回り、組織でビジネスをしており、その様をとても羨ましく思っていました。どうにかしてグローバル・レベルで環境やエネルギーの分野で経験したいとあれこれ勘案中でした。年齢的にも38歳ですので、新たな経験を積むには一刻も早くする必要があります。

今回、東証一部上場 大手総合重機械メーカーに採用されたことは、グローバル・レベルで環境エネルギー分野に身を置き成長できる、とてもとても大きなチャンスです。私は起業で成功し、Aさんに追いつく目標を諦めることで、新たな道が開けました。このせっかく得たチャンスを大事に大事にして、今までの経験で培った能力を総動員して新たな職場で貢献できるよう、励んでいきたいと思います。

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