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プロジェクト支援力を活かし、SIerから経営システムコンサルティング会社へ

プロジェクト支援力を活かし、SIerから経営システムコンサルティング会社へ

No.1195
  • 現職

    一部上場 経営システムコンサルティング会社 経営コンサルタント

  • 前職

    株式会社エヌ・ティ・ティ・データ PMOリーダー

楠井 幸雄 氏 35歳 / 男性

学歴:早稲田大学本庄高等学院 卒
早稲田大学 理工学部 電気・情報生命工学科 卒
早稲田大学大学院 先進理工学研究科 電気情報生命専攻 修了
基本情報技術者試験
知的財産管理技能士検定2級

<学生時代の新卒就活について>

今思い返してみると、学生の時は自分の何がコアコンピテンシーであり、どんな仕事に就けば幸せになるのか、というイメージが十分ついていなかったと思われます。その状況において、面白いことをやっていそうな会社であり、自己成長ができ、ある程度給料がもらえて、且つ親に説明がつきそうな有名で安心できそうな就職先に入るために、各社に向けたアピールポイントをまとめて面接に臨んだように思います。
ですので、エントリーシートや面接で伝えたアピールポイントについては、正直言うと就活用でして、本心ではそこまで確信を持てていなかったと思います。

そもそも私の両親ともに国家公務員であり、職場結婚であるため、両親の意向としては息子の私には「国家公務員として、自分たちよりも更なる上のキャリアを歩んでほしい」と望まれていました。そのため、国家理Ⅰ、都庁1類α両方とも受け、国家理Ⅰについては試験は合格したものの官庁訪問で希望省庁から内定をもらえず断念。
都庁1類αについては内定をいただきましたが、自己成長の観点で合致せずお断りしました。

もともと飽きっぽい性格である私は、一つのことをとことん極めるタイプではなく、むしろ幅広い経験を望むタイプであり、大学在籍時の単位数が200単位を超えたのもその表れであると思われます。ですので、就活時においてもIT業界だけではなく、興味のある業界(インフラ、銀行、証券、保険、競馬、テレビ等)の大企業はなるべく受けるようにしてきました。
その中で最終的に選択したのが、技術を軸にして幅広い経験ができそうだと思われたIT業界でした。そして、IT業界の中でもトップシェアだった大手SIerに入れば「面白いことをやっていそうで」、「自己成長できそうで」、「ある程度給料がもらえそうで」、「親にも説明できそうだ」ということで入社を決意しました。

実は、新卒就活時は都庁のお仕事にまったく興味がなかったわけではなく、最後まで都庁と大手SIerとで悩みました。が、技術力なく都庁に入っても実のある行政提案をできず後悔しそうだったので、大手SIerで技術を身につけ、本当に都庁のお仕事がしたいのであれば転職すればよい、と考えていた節もあります。結局、待遇ややりがいを考え、その選択はしませんでした。

<入社後の業務等>

入社後は事業本部ではなく、事業本部の外側から公共分野のプロジェクトを中心に、技術的な支援(約6.5年間)、法務(主に知的財産)的な支援(約1.5年間)、マネジメント的な支援(約3年間)を実施してきました。

プロジェクト規模としては小規模から大規模まで一通り経験させていただきました。

<転職の理由、きっかけ>

プロジェクト支援という立場でいろいろな経験をさせていただく中で、「プロジェクト支援」というものが自分には合っているのではと思い始めました。というのも入社して何年か仕事をしているうちに、誰かに求められ、問題発掘/解決していき、誰かに喜ばれるということに自分は長けているのではないかと気づいたからです。

技術でも、法務でも、マネジメントでも課題解決に必要と思われる知識の習得は早かったですし、物事を深掘りする洞察力についてはある程度自信がありました。ただ、そこを自分の強みだと理解するまでは相当時間がかかりました。そもそも物事の深掘りや洞察、それを絵にして説明する、といったことは誰でも出来ているものと思っていたし、最近になって「意外とできてない人が多いんだなぁ」と感じ、「私自身の強みとして確立してきたのだなぁ」という実感が湧いてきました。

プロジェクト支援というお仕事は、複数のプロジェクトを同時並行で支援したり、短期スポットで支援したりし、失敗するものもあれば、成功するものもあります。あくまで支援であるので、その支援行為自体がどれだけプロジェクトの成功に貢献できたかを数値にすることが難しく、評価も事業本部のメンバーに比べると平均値からの外れる度合いが小さく、私自身の頑張りに対するモチベーションにはつながりづらかった状況にありました。実際、支援したプロジェクト側からは感謝されることが多く、指名されて再び呼ばれることもありましたが、それで社内的な評価が上がることはありませんでした。

プロジェクト支援という形でもっと活躍できないか、もっと評価される職場はないかという観点で、他の会社に目を向けることになりました。

<転職の際にこだわった点、こだわりを捨てた点>

こだわった点は、
・私がこれまで培ってきた経験をフルに活用でき、更に伸ばすことができる職場であること。
・私の頑張りが直接売り上げに直結し、評価され、私のモチベーション向上につながる職場であること。
・キャリアアップのロードマップが私自身想像できること。

逆にこだわりを捨てた点は、
・大企業であること。
・福利厚生、保障が豊富な環境であること。
・誰もが知っている会社であること。

です。

<転職活動を通じて>

自分の本質について改めて気づくことができました。本質というのは、洞察力、共感力の強さ、及びそれらを感じて反射的に思考する力、それらがハマればかなり強力な人材となることです。(逆に、敏感な一面もあり、常に不安感があり、比較的多くの情報量を常に処理しているため、疲れやすい気もしますが。)

おそらく、この本質の長所にドハマりしそうな職場が次の会社なのだと思います。

<次の職場への意気込み等>

次の会社は、私の本質にドハマりと思われる会社です。
そのため、これまでの経験値をフルに活用し、会社全体にいい影響力を与えられるような働き方をしていきたいと思います。

<幼少からの体験>

小学生低学年では割とおとなしいタイプでしたが、両親が負けず嫌いな性格であることから、友達関係、スポーツ、勉強について褒めたり/ダメ出ししたりといったことが、恐らく比較的激しかったと思われます。

そんな中、小学校高学年くらいになると前日に言われた理不尽と思われる言動に、どう対応したら言い負けなかったのかというのを頭の中で想定問答するようになりました。その想定問答をある程度継続していくうちに、4つ上の姉にも口げんかで勝つようになり、友達とは口げんかで負けなくなりました。

が、一方で、言い過ぎてしまうこともあり、中学生、高校生では、口げんかで負けない、且つ言い過ぎないというバランスをとることが課題になりました。そして言い過ぎないためには「自分自身を客観的に見る力を身につける必要がある」等、いろいろ考えながら生活し、大学生になると更に自分の精神の平静を保つための思考方法を密かに考えつつ生活していました。

以上の経緯を経て就職活動に臨んでいるので、相手が何を求めているかどうかというのを理解するのは比較的得意だったと思います。

<余談>
ほんの数日前ですが、HSP(Highly Sensitive Person)という単語を本屋さんで発見し、私の特性にピッタリであることに気づきました。なので、意外と両親が過干渉であることや、それに対する想定問答を考えていたりした後天的な要因とは別に、先天的な何かがあったのかもという気持ちも出てきました。

(HSPに関する参考書籍)
書籍名:『ささいなことに動揺してしまう敏感すぎる人の「仕事の不安」がなくなる本』
著者 :みさき じゅり

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