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国土交通省のキャリア官僚、未経験で人材開発コンサルタント・研修講師へキャリアチェンジ

国土交通省のキャリア官僚、未経験で人材開発コンサルタント・研修講師へキャリアチェンジ

No.1161
  • 現職

    大手企業向け教育研修プロデュース企業 コンサルタント・研修講師

  • 前職

    一部上場 スーパーゼネコン ダム工事 現場監督
    国土交通省 国家公務員 総合職 (Ⅰ種)

水田 雅彦 氏 41歳 / 男性

学歴:東京工業大学 工学部 土木工学科 卒
東京工業大学大学院 理工学研究科 土木工学専攻 修了
二級建築士
技術士補 (建設部門)
日商簿記検定2級
体育会アメリカンフットボール部 主将

学生時代は、とにかく部活中心の生活をしていました。理系の大学であり、研究が大変忙しい中、スポーツに明け暮れる毎日。自分の生きがいも、学業より、チームスポーツに見出していました。
そんな状態で、就職や卒業研究などは、少し中途半端な形となってしまったことは否めません。何となく建設系で来て、チーム感という言葉が好きだったことから、現場のある仕事を希望。「まあ、どこに入っても大きく違わないでしょう。入ったところで真剣にやっていけばいい!」という気持ちで大手ゼネコンに入社しました。

最初の配属は東北地方の山奥の現場。携帯が繋がったのはまだよかったですが、これまでの生活とのギャップはかなり大きなものでした。しかし、優秀な先輩も多く、学ぶことも多くあったため、毎日やりがいに満ち溢れていました。ものづくりは大変なこともたくさんありますが、総じて楽しいものです。たくさんの人との関わりの中でものができあがっていくという過程・実感を深く味わいました。

300人を超える大現場であり、たくさんの下請け作業員さんと出会いました。そこで、2年が過ぎたころ、大きな問題意識を持つに至りました。特に、時期は不況真っただ中。政府が公共事業予算をガンガン下げていく中で、建設を志す技術者たちは本当に未来が見えない状況となっていたのです。

鉄筋工、大工、左官、測量屋・・・。日本の技術者はかなり優秀です。時間も正確、指示もしっかりと守ります。仕事は丁寧そのもので、見えないところも隠したりせず、手を抜くことなく全力でいいものを作り上げます。そんな素敵な、世界に誇れる人たちが、仕事がなくなる危機に瀕しているのです。
こんな世の中は、絶対におかしいと思い、世の中を変えたいという思いが沸々とわいてきました。ゼネコンという「計画されたモノを確実に作りあげる世界」から、「何を作るかを計画する仕事」に移りたい、このいびつな世界を変えたい、という思いで、国家公務員を志しました。

数か月の勉強で、何とか国家公務員キャリア試験に合格。その後、14年間勤務することになりました。9ポストを経験し、メインの国土交通省のほか、外務省や内閣府などにも出向しました。
9つのポストは、すべて全く異なる仕事内容だったため、ほとんど1年~2年ごとに転職をし続けたような感覚です。

仕事は多種多様でした。国土交通省では道路・港湾・航空分野、外務省では政府開発援助(ODA)、内閣府では沖縄行政など。一つ一つの責任は大変重く、ミスの許されないプレッシャーがありました。他方、大きな仕事ばかりだったため、自分一人で作りあげるというよりは、一つの仕事に多くの人が関わりながら進めていくといったもので、チーム感が好きな私にとっては、大きなやりがいを感じていました。
特に、東日本大震災後の復興支援などでは、考えさせられることが多々ありました。一生懸命、市民のために休むことなく働き続けている首長さんも、津波で家族を亡くされた方でした。そんな東北の未来のためのビジョンを作成できたのは最大のやりがいだったと感じています。

霞が関本省で仕事をするようになり、ちょうど「忖度」という言葉がはやり出した頃、自分もまさにいろいろな人に気を遣いながら仕事をする生活を続けていました。官僚の仕事というのは、調整業務が多くを占めます。ステークホルダーが非常に多く、それぞれの立場で想いが異なるため、各メリット・デメリットを示しながら、政策を前に進めていきます。その中で、声の大きな人に対して機嫌取りの対応をしたり、なだめたり、少し刺激的なことを言ったりと、そういったことにはかなり神経を使いました。

さらに、今の時代は、本当に厳しく説明責任が問われます。一昔前にはそれほど求められなかった事柄にも、今は一つ一つ丁寧な説明が求められる世の中となっているのです。
各方面へ説明をし続ける毎日を過ごしている中、自分は人生で何をやり切りたかったのだろうかと本気で悩むようになりました。「これまで、真剣に、何一つ手を抜くことなく生きてきた。結果もたくさん出してきたし、部下や上司との人間関係も作ってきた。他方、本当に自分のしたいこと、自分の在り方はなんだったのだろうか?」ということについて、40歳を過ぎて真剣に考えるようになったのでした。

悩みに悩んで、「自分発掘」に真剣に取り組んだところ、自分の最も好きな領域は、「人づくり・教育」であるという結論に至りました。自分が一番情熱を燃やしていた学生時代、後輩たちを育て、彼らが活躍していることが本当に自分の生きがいになっていました。また、東北震災対応でも、同僚や部下たちが、目を輝かせて仕事をしている姿を見るのが本当に好きだったのです。組織は人が作るものであり、成果が出るも出ないも、すべては人によるものです。
今の世の中は、人がないがしろにされすぎているのではないか? もっともっと、人に寄り添った、人の成長を促せる、そんな仕事がしたいという強い想いをもち、公務員という安定した立場を捨て、転職を決意するに至りました。

しかし、転職活動は困難を極めました。私は、これまで業務に真剣に取り組んできた自負がありましたし、成果もたくさん出してきたので、何とかなるだろうと考えていたのですが、現実は全然甘くありませんでした。特に、これまで気づかなかったのですが、自分にはこれというスキルがないということに心底、衝撃を受けました。先ほども書きましたが、公務員は調整能力や文章能力には長けているのですが、世にある転職サイトに載っている自身の領域といった項目に、何一つチェックを入れられなかったのです。

そこで、エージェントに依頼する選択をし、エリートネットワークの転職カウンセラー廣重さんに出会いました。
廣重さんは、まず親身に話を聞いてくださり、自分の領域についても十分理解いただいたうえで、教育・研修分野に関する企業2社を即ご提案いただきました。これが私が一歩を踏み出せたきっかけになりました。
1次面接に至るまでの間に、かなり勉強をしました。ロジカルシンキングなどにも、企業の出版物を勉強したことで初めて触れることができました。面接を受ける企業の本を、少なくとも3冊程度は読んでおいた方が良いという廣重さんのアドバイスは大変有効でした。

その2社は結局相性面で合わず、内定には至りませんでしたが、不採用通知を受け取ったその日中に、新しい求人案件の提案をいただきました。その企業は、年収や分野も希望通りのものであり、面接もスムーズに進み、採用となりました。

今回の就職活動を通じ、自分にとことん向き合うことになりました。本当に自分がしたいことは何だったのか? 自分にはどんなスキルがあるのか? それは人に評価されるものなのか? 世の中が求めているようなものなのか? これまで、日々のルーティン業務に追われ、全く考えもしてこなかったことを、40歳を過ぎたところでしっかりと振り返ることができたのは、まだまだ先が長い私の人生にとって大変有意義だったと考えています。

次の職場は、コンサルティングと研修をメインとする会社であり、まずはここでしっかりと信頼を得、仕事をたくさんいただけるように、全力で取り組んでいきたいです。
新しいビジネス人生の幕開けなので、心さわやかに、明るく、希望に向かって、まず一歩を踏み出していきたいと考えています。

皆様も、転職活動は、人生の転機です。本気で悩んで考えて、最高の答えを見つけてください。頑張ってください!

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