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年収1500万円の成功者が、転職した理由

年収1500万円の成功者が、転職した理由

No.196
  • 現職

    一部上場 大手素材メーカー 経理リーダー

  • 前職

    外資系メーカー 経理部長

杉村 一洋 氏 35歳 / 男性

学歴:東京大学 文学部卒

「転職を決意した経緯につきまして」

私も30代半ばを折り返してしまいました。いつの頃からでしょうか、残りの人生を指折り数えるようになっています。大学を卒業して社会に出た頃、自分はもっと何かができると信じていました。しかし、具体的な何かは今もって見えていません。自分だけは偏差値や学歴に溺れまいと思っていた割には、自分を見る目は養えず、結局他人の評価ばかり気にしてきたようです。

私には大志も野望もありません。でも、毎日の会社生活が退屈になり、このまま年老いていくことへの不安と、年老いた際にきっと訪れるだろう後悔とを漠然と感じる生活は、決して私にとっての良い回答ではないでしょう。名の通った外資系企業の経理部長に35歳で昇進し、1500万円を超える年収がある人間を、周囲は成功者と呼ぶかも知れません。ただ、私の中で何かが違うと訴え続けていたのでした。

私は学生時代にボート部に所属していました。ボートは一人乗りのシングルスカルという競技以外はすべてクルーと呼ぶ仲間と一緒に漕ぎます。クルーの1人だけがいくら体を鍛え、いくら技術を磨いても、試合には勝てません。1人の力が強過ぎると、艇の方向は曲がるだけでなく、艇のバランスも崩れるのです。強くなるためにはクルー全員が同じような力と技とを備えなければなりません。しかし、体力も技術もある選手が底辺の選手に合わせて漕ぐようになると、いつまで経ってもその艇は速くなりません。ボート競技は、弱いクルーが努力を継続して高いレベルで強いクルーと力を合わせることを求めます。

最初の転職で、8年間働いた総合商社を去りました。
・バブル末期の入社だったため自分の上の代は当分つかえており、
面白そう な仕事が回ってこなかったこと
・「これが最後」と言いながら、2度3度繰り返される特別損失に、経営陣の 説明責任を疑ったこと
・バブル崩壊の煽りを受け、不良債権の償却ばかり取り扱う仕事が嫌になったこと
文学部卒でノンポリを自認する世間知らずの私が、一通りの社会勉強をするという目的で就職した総合商社は、もはや用済みと考えたのです。転職先は、100人程度の事業部で管理会計から経営企画を広く任された、外資系医療用具販売会社。「弱いクルーである自分が、強いクルーと組める会社で働きたい」と判断した結果でした。年を取って面白い仕事が回ってくるのを、指をくわえて待つよりは、自分から知らない世界に飛び込んだ方が様々な経験を積めると考えたのです。そのために外資系で中堅規模の会社を選びました。

そして、今また2度目の転職を決意しました。前の転職から5年が経ち、自分を取り巻く環境が変わってきたためです。当然ながら環境は人間の思考に影響を及ぼします。漠然と考えていた自分の人生でしたが、何かが違う と考え始めていたのは事実でした。そこで、自分の考えを一度整理してみようと思い立ちました。人によって価値観は様々ですが、私の場合は①自分、②家族、③仕事という3つの視点で整理するようにしています。

①自分のこと
人間の人生には限りがあります。限られた時間のなかで、私には何ができるのだろう、否、何がしたいのだろうと考えてみました。しかし、残念なことに私には大志も野望もありません。あるのは、好奇心と責任感だけです。今までは、「どんな仕事を与えられても責任を持ってこなします」という言い方しかできませんでした。でもその言葉は、余りにも受け身の思想から発せられる言葉です。
私の場合、自分が「自分の好きな自分」でいられることが最も大切だと気付きました。自分の好きな部分を活かし、自分の嫌いな部分を直すことが、私にとって必要なことなのです。そのための環境作り、即ち自分に興味を与えてくれる環境、自分が家族・社会の一員としての責任を果たせる環境を探す必要がありました。それが、「自分の好きな自分」でいられるための近道だったのです。

②家族のこと
子供が3歳ならば、親も親になってから3歳だ。これは私が警句にしている誰かの言葉です。
自分の行動や判断は、直接・間接的に家族に影響してしまいます。家族を養うことが自分の人生に課せられた条件・束縛ということも可能ですし、自分が子供達に対してどのような生き様を見せられるかということも可能です。長男はもう11歳。残り数年で自分の人生の決断すべてに責任を持ってもらわなければなりません。しかし、彼に対して私の今の生き方を、自信を持って語ることができるのだろうか・・・・・。今までの生活レベルを維持しながら、他方自分の思い通りの仕事をすることが結局家族に対して最良のメッセージになるのではないか。もちろん、常に自分の決断を信じてくれる妻あっての考え方ですが、家族が幸せになるためには自分が充実したビジネス生活を送ることが出発点だと気付きました。

③仕事のこと
順序立てて考えてくると、仕事に対する意識が変わってきたことを実感しました。もともとサラリーマンという職業に求めていたものは、手っ取り早く安全に生活の糧を稼ぐことでした。ところが、仕事自体が自分の人生や家族に対する考え方に良くも悪くも関係していることが理解できたのです。
私が仕事に求めていた数少ないもののなかで、唯一譲れないものがあります。それは倫理意識。正義感と言い換えても良いでしょう。現在でこそ、会社に対する社会の目は厳しくなり、どの企業もコンプライアンス、CSRといったことを社訓にしていますが、実際には消費者の信頼を裏切って倒産に追い込まれる会社や、素直に非を認めず言い訳ばかり繰り返す会社、「臭いものには蓋」式に覆い隠そうとする会社がまだまだ多数あります。影響の大小やマスコミの興味といった尺度で考えるのではなく、まさに「天知る、地知る、人ぞ知る」の精神で「正しいことを正しく行う」会社で働きたいと考えました。株主、アナリスト、投資家、債権者などあらゆるステークホルダーが身近にいるからこそ、法に反する行動は取れませんし、経営の舵取りに対して初めて説明責任を負えるようになるでしょう。外資系よりも日本の会社の方が自分には向いているのではないか、と考え始めたのが契機です。

時は遡りますが、総合商社時代にアメリカで暮らしたことがありました。会社の指示通り日本に帰国した理由はただ一つでした。歴史上本土で負けたことのない「勝てば正義」のアメリカ、そんな国で他人に配慮する思い遣りの心は子供達の胸に根付かないだろうという私の信念です。やはり日本の会社で働こうというのが私の出した結論でした。

医療業界は、国民皆保険制度に保護され、価格競争もなく、高齢化社会を背景に成長し続ける特殊な市場です。社会に対して人の生命の安全を担う素晴らしい仕事の筈です。しかし、私には社会の役に立っていると素直に胸を張ることができませんでした。一歩間違うと社会保険という国民の共有財産を私利私欲のために貪ることになる、という緊張感が会社にはありませんでした。また、小泉改革で医療費抑制という方針が示されているにも拘らず右肩上がりの経営計画を描き続けています。他業界の各企業がバブル崩壊で負った痛みが目前に迫りつつあるのに、従来の手法を変えようとはしません。経理部長となり経営会議に参加するようになって、経営者達の自己正当化・保身の姿を目にすることになりました。そこには、私が尊敬できる人は一人もいませんでした。

今回転職を考えるに際し、結果として外資系・医療業界とは異なる環境を選びました。幸いにも、一部上場の日本企業に転職することができました。年収は下がりますし、役職にも就きません。でも、それらが自分の幸せと必ずしも一致しないことに自分は気付きましたし、先方の会社様にも可能な限りでご配慮頂きました。

強くなるためにはクルー全員が同じような力と技とを備えなければなりません。しかし、それは理想です。人間には個性があります。全く同じ人間が揃う筈はありません。ですから、目的を一にして練習を重ねることによって、互いに補完する関係が作られ、より高いレベルでの調和が実現すると考えます。私の2度目の転職は、「強いクルーとなった自分が、相互に高め合う仲間を求める」ための再出発です。会社に対するロイヤリティー(チームワーク)は個人の志の中に育まれるものだと信じます。それが延いては日本のためになると考えての決断です。

最後になりますが、私の思いを汲んで頂き、素晴らしい会社と巡り会わせて頂いた(株)エリートネットワーク様には感謝の言葉もございません。これからの自分の頑張りで、感謝の気持ちを表そうと思います。

以上

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