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No.966

外資系 工業貴金属トレーディング企業から、一部上場 財務系化学メーカーへ

前職
外資系 工業貴金属トレーディング企業 管理部門責任者
現職
一部上場 財閥系化学メーカー グローバルファイナンス強化プロジェクトリーダー
寺内 宏明 氏 / 52歳
私立大学 政治経済学部 卒
TOEIC 890点
投信販売資格
内部統括責任者資格
銀行業務検定 財務2級
証券外訪職員資格
実用英語技能検定 2級

「エリートネットワークの高橋です。出来ましたら折り返し願います。」
必ず冒頭会社名をゆっくり且つしっかりした口調で伝える、転職カウンセラー高橋さんの懐かしい留守録を聞いたのは約8ヶ月ぶり、年明け早々2017年1月6日 金曜日の午後6時を過ぎた頃だった。まさかその一週間後にご紹介頂く企業から内定が出るとは露知らず、である。

既に年末に外資系企業から内定を得ており、企業文化やポリシーが自分の考え方と近かったので、給与条件は低くなるものの、受諾する方向で意思がほぼ固まっていた。
そんな中ご連絡を頂いたのは、以前勤務していた会社で親しくして頂いている方と祝杯を交わすべく、JR飯田橋駅の待ち合わせ場所に着く直前のことである。

ご紹介頂いた一部上場 財閥系化学メーカーは、連結売上高1兆円を超す大企業であった。
「銀行でトレーディングの経験があって、グローバルな財務運営に明るい方を探しています。」 との説明を高橋さんから受けた。確かに自分は邦銀入行後、10年以上トレーディング部門に所属していたが、もう20年も前のことだ。
また、そのような大企業の選考がスピーディに進むとは思えるはずもなく、失礼ながら 「申し訳ないけどちょっとタイミングが遅かったかな?」 との思いを抱きながら高橋さんには、内定が出ている旨も含め応募する意思を伝えた。
「承知しました。では急ぎましょう。」 と高橋さん。
履歴書、経歴書を翌7日土曜日送付、連休にも拘らず校閲頂き、「寺内さん、面接です。1月10日午前9時大丈夫ですか?」 との連絡を受けたのが1月9日連休最終日夕刻。
ただ驚くばかりだった。それから怒涛の如く 「山」 は動き、1月13日金曜日に最終面接、内定に至ったのである。

飛行機に例えれば、滑走路が目の前、最終着陸態勢に入っていたところに突然最大級の横風が吹き、慌てて必死に旋回して別の空港に着陸し直したようなものだ。但し、最初の一次面接で企業側の求める経験、知識、人物像の枠に自分がしっくり噛み合うとの印象は得たので、面接後高橋さんには 「ジャストミートですね。」 と述べた記憶がある。それだけ視界は良好だったということか。とすれば、まさに運命の瞬間突風だったということになる。
改めて、エリートネットワークさんが如何に普段から企業側の喉元深く食込んでおり、また候補者を見る眼力が企業から厚い信頼を得ているかを物語る事例だと思う。不断の法人営業努力が無ければ、このような展開は起こり得ないからだ。

読者の方は、ここまで読むとドラマチックな成功ストーリーとの印象を受けるかもしれない。だが、50代で転職4回目、振り返れば華々しいどころか、苦戦必至覚悟の転職活動だった。

少し長くなるが、これまでの職歴、転職歴を赤裸々に記載し、その過程で感じたこと、体得したこと、失敗談など、この機会に整理してみたい。

新卒で邦銀に入行、初年度からトレーディングルームに配属となった (当時は、総合資金部という部名だったと記憶する。)。
数多く銀行員がいる中で、私は異色の経歴だと思われる。
後方事務から始まり、カスタマートレーダー、短期資金運用調達、為替トレーダー、マーケット・リサーチャー、フロント側リスク管理、部門企画・総務、その後は、国際部門で外為円決済受託業務、グループ会社での部門の企画、リスク管理 (二次BIS対応) と幅広い業務経験を積ませて頂いた。
他方その過程で、欧州通貨危機、ソ連崩壊、アジア通貨危機、大手証券倒産に端を発した邦銀不良資産肥大化とジャパンプレミアム危機、正に日本経済デフレ化の長いトンネル突入と共に、銀行自体も統廃合を繰り返し、あからさまな貸し剥がし、貸し渋りが横行、バンカーの端くれとしてお世辞にも社会的責任を果たしたとは到底言えないと感じている。
入行19年目42歳、ある意味一番中途半端なタイミングで2007年1月に退行を決意、丁度10年前のことである。

その後、米系最大の複合企業財務職在籍時にリーマン危機が起こり、人員整理の波に呑まれた。
8ヶ月の失職期間を経験、この間応募社数40社、面接社数6社。
結果、東証一部上場のファクトリーオートメーション機材を扱う専門商社の財務職として入社したが、経営トップの専制やモラルハザード的カルチャーに戸惑い1年で退職し、また4ヶ月の失職。
この時初めてエリートネットワーク、転職カウンセラー高橋さんとの縁が生まれた。

2011年5月4日、銀座のオフィス内の小さなカウンセリングルームでじっくり面談頂き、生い立ち、大学生活、新卒時の就職活動まで広範に及ぶ質問が飛び交った。他のエージェントとは一線を画す内容だったので今でも記憶が鮮明に残っている。
企業を複数社ご紹介頂き、最終面接まで1社進んだが結実しなかった。この間応募社数60社、面接社数10社。

結局この時は大手エージェント仲介で、工業貴金属を扱うドイツ系化学メーカーの日本法人に入社、ここで5年間を過ごしたが、自分を評価してくれた現地法人社長 (日本人) は本社直属上司と折りが合わず会社を去った。
アジア地域の管理業務を日本に集中させるプロジェクトで日本、中国、韓国の財務を含めたオペレーション業務を担ったが、部下の採用や育成には悩まされた。
採用した部下は海外大学卒、外資系オンリーの経歴だった。当然英語力は抜きん出ており、それ故海外の外国人同僚の評価が高く採用に至ったが、これが裏目に出た。
協調性ゼロ、前職での考え方やルールを持ち出す、実務能力はあるので仕事を完全に任せ考えさせるマネジメントを試みたが、管理者として無能と逆評価される等々。中途採用は初めての経験だったが、難しさを痛感した。 (尚、高橋さんには人材を採用する側でこの時お世話になっているが、推薦頂いた候補者は英語でのリテラシーがネックとなり採用には至らなかった。)

中国経済の成長鈍化がはっきりしてくると、それまでの掛け売り、リース資産増大の営業方針が突如変更され、韓国での合弁事業も行き詰まり、業績が急速に悪化。且つ、日本は顧客である自動車会社のEV化のうねりの影響で回復も見込めず、人員整理の波が再度訪れた。

その後転職活動を行い、今回ご紹介頂き入社に至ったのが、冒頭で触れた一部上場 財閥系化学メーカーである。
銀行を退行して以降、4回目の転職活動。さすがの暗愚も経験から学び、早くから水面下で転職活動を始めると共に、上長とは平和裏な協議の末、昨年末会社都合での退職となった。昨年から数えると今回は応募社数延べ102社、面接社数35社となった。

今回の転職活動は、表向き会社に在籍しながらの活動で長期間を要した。当初より長引くことは覚悟していたが、予想通りの展開だった。場を重ねると変な予知能力も少しは高まるようである。雇用マーケットもリーマン危機の時と比べれば格段に良い環境にあったが、それでも100社以上応募してようやく決着した事実は、50代の転職が如何に難航するかという事を痛切に物語っており、謙虚に受け止めねばならないと感じている。

延べ約100社応募して、うち35社面接に進むことができた=打率で言うと3割5分、全盛期のイチロー並である。しかし、これまでの転職活動ではなかった様々な事例を体験した。
それは、あらゆる角度からストップがかかるリスクがあるということである。スキルや経験、人物像含め採用企業から評価を得たとしても、企業側の都合やタイミング、時に 「気まぐれ?」 とも捉えられるような事由で凍結、結論先延ばし、中座が発生し中々内定に至らない。
また、先に内定を頂戴した外資系1社にしても、応募したのは昨年9月中旬、書類選考と追加質問票対応に1ヶ月、一次面接が11月上旬、二次面接が12月下旬、延べ3ヶ月以上を費やした。採用ニーズ自体は旺盛だが、50代ともなると管理職として組織の要になる即戦力人材の採用を前提としているので、それだけじっくり時間をかけた選考になるという実感である。(職種では、自分は財務・経理職の領域となり、同領域での管理職採用は盛んだと感じていた。逆に営業職領域の場合、50代ともなるとかなり苦戦しているとの印象を受けた。)

10年前銀行を退行した時、何故か 「銀行にはもう戻らず、事業会社でキャリアを築く。出来れば最後は日本企業で。」 との思いが頭にあった。それ即ち財務・経理畑となる事を意味していた。
(あくまでも結果論である。)
経理実務に弱いという難点は未だに払拭できていないが、前職は小規模の会社だっただけに、必要性から月次決算や税務対応にも関与したことが、今回の転職には追い風となって作用したように思われる。小規模の会社でプレイングマネージャーとして職務領域の境界線無く動き回る経験はどこかでしておくべきだというのが今の考え方だ。

今回の転職活動では、方向性を二つに固めて挑んだ。

[1] トレジャリー系の職務経験を深堀する。 (銀行出身という強みをもっと高める。)
[2] 財務・経理等幅広く業務をこなす管理マネージャーとして経験を積み重ねる。 (その先に小規模会社のCFOという目標を展望する。)

このどちらかに該当する案件であれば、業界・規模・職務内容・文化の別関係なく応募し、面接に呼ばれたら時間を調整して挑んだ。ある程度進む方向を事前に決め、銃剣持っての匍匐前進と言える。

その結果、35社の面接という果実を食したことで、一歩進む度に自分の引き出しと判断材料 (業界間の比較が可能となる、外部報道では伝わってこないその会社の状況と雰囲気が分かる、業界知識も増える等) が増えていった実感がある。
また、管理職採用のニーズは、改革を伴いこれから伸びる、ないし伸びようとしている元気な会社に発生することも感じた。
面接によっては時流の最先端を垣間見ることができる。今回は、Fin Tech、AI、ディスカウントリテイラー等であった。

自分が進む方向に垣根を設けないことで、たとえご縁がなくても見聞が広まることで道が開ける。またこれまで経験を積んできたからこそ、異なる業界の理解が早くなる。時折、なかなか内定が出ないことで気を病む状況になる事は否めないが、常に前を向いて進む、頭を柔らかくして少しでも転職活動から学ぶ姿勢を維持することが、難航ではあるが座礁しない為の防御策として唯一無二の方法だろうと今は信じている。
今回ご縁のあった企業は一週間という短い期間で内定を頂いたが、何故短期で結果が得られたのかを問えば、そこに至るまでの打ち手数の多さと、我慢と貪欲な姿勢があったからだと思われる。

次の会社では、グローバルのファイナンス体制と為替リスク管理体制の強化プロジェクトリーダーとしての責務を負う。一部上場大手企業故に、連結対象の海外拠点は100社を超え、国によって様々な資本規制や税制が自由な資本移動を妨害する (今や一番自由であった米国がトランプ大統領就任後、保護主義化する傾向が明白だ。)。
為替リスク管理も円建連結決算故に余計に難しい。米ドル決算なら基軸通貨である分、流動性も高く、故にヘッジコストも安いが、円建である限り制約が多い。
外資で類似の仕事をした経験はあるが既に過去の話、陳腐化は否めない。クラウド化含めITの革新は一段と進んでおり、果たして自分の経験がどれ程活きるのか、甚だ不安だらけだ。どう成果を挙げていけば良いのか、現時点では正直不透明である。

しかしその様な中でも、これまでの経験から忘れてはならないだろう点が確信として幾つかある。

[1] 新しい会社に入社したら、それ以前の会社で体得した慣習・考え方は、真に使えるという確信がない限り一先ず忘れる。
プライドも捨て、新しい会社の価値観や、考え方、仕事の進め方を一から学ぶ。
[2] 古い仲間を大切にし、新しい同僚を信じる。
人は誰も (失敗も含め) 経験して来た事の範囲内でしか判断できない。従って大きいプロジェクトを動かすのであれば、先ず自分の経験が限定的であることを自覚し、異なる経験を積んでいる同僚、仲間と協議を尽くして事にあたるべきである。
[3] 行き詰ったら原点に戻る。
原点には二種類ある。会社の事業が世の中において何のために存在しているのか、自分は (敢えて転職というリスクを取って) これまでどういう生き方を求めてきたのか、である。

銀行を退行した10年前の初心は、「事業会社で、出来れば (一旦外資に転じても) 最後は日本企業でキャリアを築き、終わりたい。」 であった。自分は日本人だからである。
敢えて 「日本人」 を意識する背景には、幼少期に渡米経験 (5年) があり、多人種社会の中で 「日本人」 がどう見られ、扱われ、歴史を刻んできたのか、子供の立場で否応なしに意識させられる環境にあったからだ。
自分の存在や基盤をどこに求めるのか? 突き詰めればやはり 「日本」 なのだ。
僭越ながら英語でのコミュニケーション力はある方だと思うが、それらを含めて日本企業の成長に寄与する仕事をやり遂げたいという思いがあった。

そしてキーワードは 「海外」 である。今回の選択に至った理由だ。
邦銀退行後10年経って日本企業、加えて銀行と同じ旧企業グループに属する大企業にご縁を得たのは、繰り返しだが不思議な導きを感じる。
今回は、即戦力として成果を期待されているので当然プレッシャーは相当なものだ。さらに、リーダーとして後継を育てるという役割も担う。
その前提で、先の連合艦隊司令長官 山本五十六大将の以下の言葉を、忘れず胸に刻んで入社後業務に励もうと考えている。外資とは一線を画する日本らしいリーダー像に、自分が一歩でも近づけるよう奮闘したいと考えている。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている姿勢を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」

日本の経営者をよく神社や寺院でお見受けする。若い頃はそのような場所で手を合わせるのはかっこ悪いと考えていた。また、何故会社の経営者が幾度も参拝するのか判らなかったが、「経営者は従業員の生活を預かる立場ではあるが、一人の人間でもあり、自分の力の限界を知っているからであろう。」 と最近は少し頷けるようになった。
決して神仏の力に依存するということではなく、詣でることで自分の襟を正すということの意味を理解しているからだと思われる。昨今の世界情勢は混沌の度合いを深めているので尚更だ。但し、株主利益増大に偏重したり、従業員を見下し、自分の報酬確保のみに走る経営者も残念ながら少なからずいる。

今後50代から60代、70代への過程を辿る上で、おそらく同世代が多く経営トップとなる時期が早晩来るだろう。自分がどういう立場にいるにしても、広く深く物事を捉えられるような人間に成長したいと思う。

今回、高橋さんから 『転職体験記』 の執筆を依頼されたが、転職活動=人生観を高めることができる道場だと回を重ねる毎に感じていたので、自らの考えを整理する意味でも謹んでお受けすることにした。

高橋さんとは不思議な縁を感じている。
先ず住居がかなり近く、時々近所でばったりとお会いすることがある。しかも、往々にして転職を含めた悩み事を抱えているタイミングでお会いする。
自分には中学生になったばかりの娘が一人いるが、小学校は越境バス通学だった為、ほぼ毎朝バス停まで送迎するのだが、そこでも高橋さんとは幾度となく居合わせた (別に特段会話を交わす訳でもないが。)。
高橋さんは北海道大学ご出身だが、前職の上司=現地法人社長も同大出身であった。
その他諸々不思議な事がよく起こる。

今回も暫く高橋さんから求人案件のご紹介は無かったが、最後の最後に飛び込んで来た。2011年5月に出会って以来の念願とも言える。
先般お昼をごちそうになった折、「外資に行った不本意な人を日本企業に戻すのが私の趣味だ。」 と言っておられた。趣味=ライフワークということだろう。ご担当されている会社は300社以上とのこと。
「趣味」 とは粋である。どんな艱難辛苦があろうとも、「趣味」 であれば苦痛ではない。
そんな境地にこれから自分の仕事を高められればいいなと思った次第だ。

高橋さん、エリートネットワーク様、末永く今後ともよろしくお願いします。

以 上

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