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No.516

外資系の品質管理から、日系薬品メーカーの品質保証へ

前職
外資系 大手電子部品メーカー 品質管理
現職
株式上場 表面処理(メッキ)薬品メーカー 品質保証
小野 慶一 氏 / 57歳
東京大学 工学部 金属材料学科 卒
米国ワシントン州立大学 経営大学院 卒(MBA)

僕は57歳、2009年9月から2011年7月まで無職でした。結婚の経験はなく、2009年まで勤めていた茨城県稲敷市の工場の近くの千葉県北部の小さな町に、小さな中古の家を買って住んでいました。2009年8月に10年間勤めた外資系の電子部品メーカーを希望退職して、その年の11月から翌年9月末までの約1年間、ひとりで自転車で中国縦断、インド横断をしました。帰国してからは仕事はなく、駅まで徒歩20分、1時間に1本しか電車のない自宅に住んで、趣味のジャズボーカルのレッスンや中国語の学校、そして以前からやってみたかった速読の学校に通うため東京に行く日が続きました。

そうこうしているうちに2011年になり、3月に大地震、原発事故が起こり、人の生活と人生は何かの出来事で土台から根こそぎなくなってしまうこと、原子力のような先端の科学が人間の命を奪うという一面のあることを痛切に感じました。4月になって、大学時代の友人が30年以上働いてきた塾が閉鎖することになって、アパートを出て、僕の小さな家に転がり込んできました。彼は酒飲みで就職口を探していましたが、ハローワークに毎日のように通っていたものの一向に就職口は見つかりませんでした。僕は僕で色んなことを徐々に空しく感じるようになり、鬱に近いような状態になりました。4月末には富山で内観という心理療法を受けたり、原始仏教の本を読み耽ったりしていました。6月になってこのままでは埒が開かないと感じ、以前にコンタクトしていた転職支援(ヘッドハンティング)の会社にメールを送って就職活動を始めました。前職を辞めて自転車旅行に出掛ける前に挨拶メールを送っていたのでハードルは低かったのです。同時にインターネットで転職支援のサイトに片っ端から登録していきました。

全部で15社くらいに接触して面談を希望しましたが、多くの人材会社は外資系が専門のため、化学・電気電子の市場縮小のため撤退していたり、現在は求人がほとんどなく、履歴書だけ受け取っておくということでした。結局2社に面談して頂いたのですが、そのうち1社は同姓同名の米国駐在の金融マンと間違えて面接することになったというオマケ付きでした。失職した友人は40歳代はおろか30歳代も就職先はないと言います。僕はますます気力も体力もなくし、独立したくてもアイディアも人脈も資金もなく、どうにでもなれと開き直ることもできず、知り合いに電話しては寂しさを紛らわせる生活を続けていました。

しかし、その面談してくれた人材紹介会社の1社((株)エリートネットワーク)は一つの会社を紹介してくれました。2年前に約300名、創業50年の会社を受け継いだ30歳代前半のオーナー社長が面白いのではと興味を持って下さり、履歴書を読んでくれたのです。その会社は一昨年2010年冬まで品質保証部がなく、品質保証体制を作ったばかり、そして担当だった管理職の方が退職することになり、57歳の僕にチャンスが回ってきました。

僕の経歴は少なからず変わっています。中学高校と受験校で有名な鹿児島県の私立の学校を卒業、東大に現役合格したものの夢だった数学者にはなれないと思って留年休学を繰り返して卒業した時には30歳。卒論の教授のコネでフランス系の外資の化学会社の日本法人に就職して技術営業として8年間働きました。それから会社に留学制度がないこともあって、38歳の時に米国に自費留学してMBA取得。卒業後米国に残り、日本人の経営する従業員5名の小さな木材輸出会社に勤めたものの、3年後、43歳の時に事業撤退のため解雇されて帰国しました。

就職はなく、歩合のルートセールスをしていましたが、転職支援会社の仲介で茨城県の外資系の電子部品メーカーR社の従業員約300名の工場に就職できました。そこは最寄りの鉄道の駅もない小さな村の工業団地で、英語を話せる人がなかなか来たがらないので、僕を必要としてくれました。そこでは尊敬できる上司(勿論僕より若い)と知り合うことができ、品質管理を学びました。
ISO9001とISO14001のシステムを管理し、米国・中国の工場とシステムを統一したり、その他に慣れない安全衛生の仕事も若い熟練の担当者について習いました。44歳で初めて工場という場所に勤めた自分の能力のなさから、同僚から認められないといういじけた気持ちがありました。それまでも30歳で社会に出てから、出世は望むな、留学は選ばれた者がすることだ等々の言葉を聞いて、自分は社会、会社で上に登っていくことはできないと思っていました。同時に自分は会社に雇われるのでなく自分で会社を創りたいという希望も膨らんでゆきました。

R社は米国西海岸に本社を置く従業員約2000名の会社でしたが、僕が入社した年にその10倍以上の巨大なT社に買収され、徐々に経営はT社の東海岸の本社の手に移っていきました。日本法人もT社の日本法人と僕の所属していたR社の日本法人が合併しました。待遇も良くなり仕事の規模も大きくなった反面、R社の西海岸の尊敬していた上司達や直属の上司は辞めていきました。今だに彼らがR社の若手社員に話し掛ける姿は忘れられません。

R社でのこの十年という年月は大きな影響と恵みを与えてくれました。僕は品質管理の他に新しい道を見つけようと、プロダクトマネージャや中国工場の品質管理責任者の職への転部願いを出したものの通らず、52歳の時に偶然ヘッドハンティングの会社から転職を誘う電話があったことを機に、ヘッドハンティングの会社に登録して新しい道を探し始めました。その頃はまだ日本の電気・電子や化学業界の労働市場も活発で、履歴書も読まれたし、面接まで進んだこともありました。転職に至ることはありませんでしたが、一つ判ったことは直近の10年間で働いた経歴でしか転職の可能性はないということでした。

その後、リーマンショックがきて2009年夏にT社と合併したR社は初めて希望退職を募りました。それまでは次の転職先が決まらないままでの退職は考えたことはありませんでした。市中には「会社を辞めるな」という本もあれば「同じ会社に4年以上勤めるな」という本もあって、僕は迷いました。4年以上勤めるなという本の筆者はエリートとして社長やCEOを勤めている人であり別世界の人だと思っていました。しかし、この時このまま残ったら品質管理の部長として定年を迎える、それでは後悔すると思い、退職に踏み切りました。

この選択は独身である程度の財があったからできたのであり、何を贅沢なことを言っているのかというのが普通の見方だと思います。友人も親戚も連絡をくれなくなり、別世界の人間と思われていると感じました。そして、辞めて何をするか?38歳で米国留学した時に、夏休みに自転車で米国を横断したいと思いながら勇気と金がなくてやらなかったことを思い出しました。自転車でヨーロッパまで行こう、マゼランがアメリカ大陸を見つけに行ったリスボンまで陸続きのユーラシア大陸を自転車で行こうと思いました。

11月に大連まで列車とバスとフェリーで移動した後、中国も縦断して途中肺炎にかかって1ヶ月間日本に戻ったものの、4月末に陸路ベトナムに入国。その後飛行機でインド東端コルカタに移動してインドを横断して9月末に西端のアーメダバッド到着。そこで体力の限界を感じ日本に戻りました。それからは最初に書いたような経緯で2011年8月に化学会社に勤め始めました。

日本の会社は初めての経験で、少なからず外資系の会社との違いを見つけますが、組織の中での責任は重くチームワークしていると感じます。品質保証という仕事で入社して、安全衛生の職責も与えられ充実した毎日です。前職での10年間に学んだことを生かすことができています。40過ぎで初めて工場に勤めたという劣等感から、物もろくに言えずに自分がいやになったことや、それでも会議を開きその日のうちにレポートを回付していたことを思い出して、どれほど貴重な時間だったかを感じます。自転車旅行も色々な経験を与えてくれました。旅先で毎朝自転車から手を振って別れを告げた右手は、仕事だけが人生ではないと教えてくれるように思います。が、仕事がどれほど人に自信と心の安定を与えてくれるかということも判りました。以上長々と私の職探しの経験を書いてきました。この辺で筆を置きます。

(追伸)中国・インドへの自転車旅行をしたい方、もし情報が必要でしたら(株)エリートネットワークの転職カウンセラーの岩川さんを通じてご連絡下さい。

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