映像プロデューサー・著作権管理、そして、一部上場会社の社長秘書に!

No.740
  • 現職

    一部上場 インターネット広告運営会社  社長秘書

  • 前職

    ジャスダック上場 広告・映像・番組制作会社  映像制作プロデューサー&著作権管理

鴨 絢子 氏 33歳 / 女性

学歴:一橋大学 社会学部 卒
TOEIC830点

目次
  1. はじめに
  2. 「当たり前」 に疑問を持つ子供時代
  3. 社会学部で 「本当のこと」 を探した大学時代
  4. 新卒での就職活動
  5. 映像制作プロデューサーとして6年半勤務
  6. 退職後、大学の聴講生に
  7. 憧れの会社に転職
  8. 制作プロデューサーを経験後、著作権管理業務
  9. 二度目の転職活動
  10. 某エージェントに門前払い後、(株)エリートネットワークに出会う
  11. 転職活動を通じて思ったこと
  12. 終わりに

はじめに

初めて(株)エリートネットワークさんを訪れた時、『転職体験記』 の中に自分と同世代の女性の活動記を見つけ、とても心強く、励まされたことを覚えています。これといって自慢できるようなスキルがある訳ではなく、輝かしい経歴も、専門性もない三十路女が果して転職できるのかどうか。自分を必要としてくれる企業があるのかどうか。半信半疑で始めた転職活動でしたが、『転職体験記』 の女性の奮闘に勇気を貰い、また、ご担当の杉本さんの強力なサポートを得て、2カ月の活動期間を経て無事に1社内定を頂くことができました。

私の場合、二十代で一度転職を経験し、憧れだった映画関係の企業に勤務していたので、「どうしても転職したい」 という強いモチベーションが最初からあった訳ではありません。むしろ、転職活動を通して、「世の中にはこんなに魅力的な会社があったのか!」 と驚き、転職への意欲が加速度的に高まっていった形です。また、当初は 「給料を上げたい」 という希望しか持っていませんでしたが、活動を通して、「新規性のあるサービスを提供している企業」 「プロフェッショナルとして専門性を磨くことができる職種」 の二つに自分が強く惹かれていることに気付きました。幸い、内定を頂いたのもその二つを満たす企業 〈ITベンチャー〉 ・ ポジション 〈秘書〉 です。

ちなみに、応募企業のほとんどは、未経験業界・未経験職種でしたが、書類選考を通過した企業については、年齢・性別・経歴のハンディを感じることはありませんでした。また、三十代の転職は、もっと厳密に業務に直結する実務経験が求められるものかと思っていましたが、意外と 「適性」 の部分でざっくりと評価されたりするのだな、という新たな発見もありました。

在職しながらの転職活動は思いの外苦労が多く、時に面接続きで困憊し、くじけそうになる時もありましたが、ご担当の杉本さんが何度も電話で励まして下さり、また、絶妙な休養期間を設けるなどしてスケジュールを上手にコントロールして下さり、何とか最後まで頑張り通すことができました。世の中に絶対ということはないかもしれませんが、今回の転職活動に関しては、絶対に一人ではやり通すことができませんでした。 感謝の気持ちでいっぱいです。

この活動記は、転職活動を支えて下さった転職カウンセラーの杉本さんへの感謝の気持ちと、これから転職を志す皆さんへの励ましの意味を込めて書かせて頂きました。ちょっと長くなってしまいましたが、役に立ちそうな部分、ご興味のある部分だけでも読んで頂けますと幸いです。

「当たり前」 に疑問を持つ子供時代

で、なんで子供時代の話なの? と思われるかもしれません。実は、内定を頂いた企業の面接で興味を持って頂いた点は、子供時代の話だったのです。三十代の転職の採用面接で、子供時代の話をすることになるとは、私も夢にも思っていませんでした。ただ、自分がどんな人間なのかを判断してもらう上で、子供時代のエピソードはとても有効だったと思います。

私は、世の中の当たり前のことを 「なぜ なぜ?」 と疑問に思うかなり変わった子供でした。「なぜ学校に行かなくてはいけないの?」 「なぜ宿題をしなくてはいけないの?」 「なぜ学校はこの時間に始まるの?」。一事が万事その調子でしたので、勉強もあまりできませんでした。例えば、「5センチのリボンを2センチで切ったら残りは何センチ?」 という単純な算数の引き算の問題も、図示された区切りの線にこだわって、「この線の太さが判らないと解けない」 と悩み、「線の大きさは考慮しない」 と言われても、「大きさがなければそもそも見えない」 と更に考え込んでしまい、0点近くの答案を貰っていました。

母親は大変な心配をしていましたが、父親は冷静で「なぜ学校に行かなくてはいけないの?」 という質問にも 「学校に行く必要はない、親には教育を受けさせる義務があるけれど、子供は行きたくなければ行かなくていい」 と正面から答えてくれました。(いじめなどに遭っていた訳ではないのですが、家から小学校が割と遠かったので、単純に行くのが面倒だったのだと思います。)

子供心にそうした答えは目から鱗で、「自分には当たり前に思えることも、本当は当たり前でない」 と気付かされ、これを機に、よく自分で問答するようになりました。「なぜ宿題をしなくてはいけないの?」 「宿題をする必要はない、でも自分に得 (先生・親に怒られない) があるからする」 という具合に。今思えば稚拙な考え方ですが、当たり前を疑い、自分なりの答えを探す習慣を身につけたことは、後の人生に大いに役立ったと言えます。

社会学部で 「本当のこと」 を探した大学時代

そんなこんなで、「世の中の本当のこと」 「人間の本当のこと」 に強い興味を持っていた私は、社会の本質的な仕組みや、場所や時代を超えて普遍的なものを学びたいと、大学は社会学部に進学しました。哲学や心理学なども検討しましたが、哲学は観念的過ぎて現実感が乏しくひとりよがりに見えたこと、心理学は詰まるところ統計学なので知的なダイナミズムを欠くように見えたことから、何でもありの自由な学問に見えた社会学にしました。高校2年生まではあまり勉強に熱心ではなく、中盤くらいの成績でしたが、社会学部をターゲットに据え、一番難しいところに行こうと決めた春休みからは、猛勉強をスタート。約半年の受験勉強を経て、高校3年生の夏休みに入る頃には、全てやり尽くしてもう何もやることがない状態だったのを覚えています。

そんな努力の甲斐あって、第一志望の大学に入学。念願の社会学部の授業を受けるのですが、入学早々、ガツンと頭を殴られるような洗礼を受けました。それは、「子供の死は普遍的に悲しいものではない」 「子供という概念は産業革命以降に発明された」 という社会学の歴史的な実証研究でした。詳細は割愛しますが、「本質的な何か」 を求めて社会学部の門戸をくぐった私にとって、その授業は天地がひっくり返るほどの衝撃をもたらしました。これまでの人生の中で、特に疑問を持つことなく、無意識のうちに普遍的な価値として受け入れていたものを、根底から覆された瞬間でした。

この時から、長い苦悩の旅が始まります。最終的に専攻として選んだのは、言語学や構造主義というポストモダンの影響を色濃く受けた文化人類学でした。今でも鮮明に覚えているのは、「あなたの髪は、あなたの一部ですか? あなたの爪は、あなたの一部ですか? では、それらを切り落とした時、その髪や爪は、依然として、あなたの一部ですか?」 という問いです。この問いに正解はありませんが、境界線 (タブー) を考察することで、何がしかの普遍性に迫ろうとする文化人類学の古典的な手法を端的に表している例です。真実を白日のもとに晒す、のではなく、真実という得体の知れないものはひとまず置いておいて、目に見え触れられる範囲のことを語りましょう、という控えめなスタンスに、安らぎを得たのだと思います。

新卒での就職活動

随分前置きが長くなりました。学生時代、ゼミとサークルで打ち込んでいた “能楽” 以外ほとんど何もしていなかった私ですが、実は国会図書館の職員を目指していました。理由は 「女性は公務員がいいよ」 と念仏のように家族に勧められていたこと、国会図書館に勤務する家族の知人に 「本当にいい職場だよ」 と受験を勧められたことです。私自身、本や漫画や映画、絵、芸能が好きで、何がしかの表現物に関わる仕事がしたい、と昔から漠然と思っていたのですが、自分で表現したいという訳ではなく、表現の近くに居たい、という方が適切だったので、本という表現物のお世話係であるような図書館職員は、かなり向いている気がしていました。

LECの通信教育を受けて受験準備を進めていたものの、結果は惨敗。落ちた時は、茫然自失となり、数週間家に引きこもっていたと思います。家族の励ましを経て就職活動を始めたのは、大学3年生の6月頃でした。大手は既に採用を終えていたということもありますが、個人的に経済や民間企業にはめっぽう疎く、規模の大小や待遇にはあまりこだわりがなかったこと、先輩や友人と同じような会社で働くのも面白みがないという思いがあったことから、リクナビに登録されている企業の中から、何か目新しさがあって、「表現物」 に関わる仕事ができそうなところを探しました。

小規模な映画の制作会社や、広告代理店など5〜6社ほど受けた中で、新卒一期生の採用を実施していた50名ほどの規模の広告会社に内定を頂きました。帝国データバンクで企業情報を調べた家族からは、「規模が小さ過ぎるし、よく判らない会社だから危ない。行かない方がいい」 と止められましたが、まずかったら辞めてまた公務員を目指せばいい、と反対を押し切って入社。幸い、聡明で魅力的な同期に恵まれ、待遇も悪くなく、経営者も善良な人で、結果的には正解でした。

映像制作プロデューサーとして6年半勤務

入社後は1年間の見習いを経て、2年目からPR映像の制作プロデューサーとして、企画・プレゼン・台本作り・撮影香盤作り・予算管理・スタッフィング・スケジューリングなど、企画から納品までの一切の業務を取り仕切らせて頂きました。仕事を通して、何人かの経営者に会うことができたのも、貴重な経験となりました。中でも、業界では知る人ぞ知る京都の板金加工メーカーの創業50周年記念映像に携わることができたことは、忘れ難い思い出です。

創業者のインタビューでは、今まで読んだどんな伝記よりも、ドキュメンタリー番組よりも、濃密な人生の有り様に触れることができました。その創業者の 「人生はLOVEだよ (←仏教的な意味です) 」 という言葉は、今でもよく思い出します。割と充実した日々を過ごしていましたが、3年も経つと業界の勢力図のようなものが判るようになり、どうせ制作プロデューサーをやるなら、一流のクリエイターと一緒に、最大手の会社でやってみたい……と欲が出てくるようになりました。ベンチマークだったのは、カンヌ広告賞を受賞し、ACC大賞の常連だった企業。そこに在籍するCMディレクターを特集した美術館での展示会を見たことをきっかけに、ぜひ働きたいと思うようになりました。

退職後、大学の聴講生に

実は、私、二社目の転職が決まる前に、会社を退職しています。ちょうど入社6年目の4月でした。理由は、大学の聴講生として美術史の授業を受けるため。当初は留学をしたくて、仕事と並行して二人のアメリカ人家庭教師に美術史や映像表現について英語で教えてもらいつつ、短期のNY留学の準備をしていました。NYの大学に映像制作に関連する社会人向けの集中講座があり、会社に掛け合って留学制度を創設して頂き、費用の援助も取り付けましたが、最終的に取り止め、退職した上で、国内の大学に通い始めました。

留学を思い留まったのは、そもそも自分は留学したい訳ではなく、就業環境をクリエイティブに変えたいのだ、と気付いたからです。その変化は、留学をして小手先の知識を身に付けたところで簡単に実現できるものではなく、かなり長丁場になると想像できました。留学は気休めや自己満足にはなっても、根本的な問題解決にはなり得ません。ここで明確に、転職、あるいはキャリアチェンジの必要性を認識したのです。第一線の会社に転職をするか? 大学院に通ってキュレーターを目指すか? など様々な可能性を検討しましたが、この先どうなるかは別にして、今まで頑張ったご褒美に、まずはやりたいことをやってみよう、と大学で美術史の講座を受けることにしました。結婚していたので、経済的に余裕があったということも大きいと思います。

憧れの会社に転職

大学に通い始めて1カ月経った頃、偶然、憧れだった会社の採用広告を目にしました。募集を見つけたのは、まめにチェックしていたHPでしたが (チャンスがあれば挑戦したいと思っていましたので)、リクナビNEXTにも募集が出ていることを知り、これはよほど人が欲しいのだな、とピンときました。美術史の授業を受ける一方で、転職準備を始めました。今思えば、転職活動の方がメインだったかもしれません。ちなみに、不採用の場合は大学に専念するつもりでしたので、1社しか受検していません。

書類選考、部長クラス3名の一次面接、筆記の適性検査、役員2名の最終面接を経て、応募から3週間ほどで内定を頂きました。面接では如何に会社に憧れているか、調べ上げているかをアピールしました。面接官から 「よくそこまで知っているねえ」 と呆れ気味に笑われました。最終面接後、本社近くでそばを食べている時に、人事部から内定の電話を頂きました。飛び上るほど嬉しかったのを覚えています。

制作プロデューサーを経験後、著作権管理業務

入社後は、海外の番組をローカライズする部署に配属され、制作プロデューサーとして働き始めました。一社目とは異なり、高度な分業と定形的な業務フローが確立されていましたので、アイディアを出したり、考えたりする必要がほとんどない一方、一人当たりの抱える業務量は尋常ではありませんでした。入社1年目は、他のプロデューサーのアシスタント業務でしたが、自分は無能なのではないかと思うほど、周りの目まぐるしい業務スピードに付いて行けず、苦労しました。ただ、2年目から作品を任され、自分で予算やスケジュールをコントロールするようになると、状況はかなり改善。段取りをしっかりし、先手を打つことで、作業や調整業務の無駄を大幅に省くことができました。

ただ、3年目にもなると、業務内容に若干マンネリを感じるようになり、もう少し頭を使ったり考えたりする仕事がしたいな……と思うようになりました。運良く管理部に欠員が出たところで声を掛けて頂き、現職である著作物の二次利用に伴う許諾交渉業務を担当することになりました。社内外の二次利用に関する問い合わせや依頼に対応し、著作権者へ金額も含めた許諾交渉を行うのが主な業務ですが、この仕事は本当に楽しく、やり甲斐がありました。著作権関係の法律や関連団体の規約などある程度の専門知識が必要とされますが、それらに精通するようになると、後は毎日脳のストレッチをしているような感覚でした。また、社内外の関係者から頼りにされている、必要とされている、という実感を得られたことも、モチベーションを高く保てる要因となっていました。

二度目の転職活動

え、じゃあ何で、また転職しようと思ったの? と疑問に思われる方がいるかもしれません。二度目の転職を考えたのは、経済的な動機からです。新卒で働き始めて10年以上が経過し、業界内の動向だけではなく、世の中のあらゆる業種・業界・企業の動向をより広い視野で把握できるようになると、自分の会社も客観的に見られるようになります。人件費が低い、若年層の離職率が高い、などなど。

振り返ってみれば、これまでのキャリアは、自分の好きな 「表現物」 に関われるかどうか、というのが軸になっていました。そのため、自分に適性のある仕事は何か、社会に必要とされているサービスは何か、良い企業とは何か、という視点が抜け落ちていたように思います。勿論、仕事を通じて好きなものに関わることができるのは、替え難い喜びです。ただ、表現物の場合、誰でも 「鑑賞者」 として作品に関わることができるので、敢えて仕事にしなければならない必然性は低いのでは……とうっすら感じるようになってきました。

更に、入社以降、給与はほぼ横ばいで、「さすがにこれはマズくないか?」 と危機感を感じるようになりました。平均年齢が低い会社の場合、高収入の役職者が定期的に退職することはほぼありませんので、会社の業績が上がらない限り、若年層の給与がドラスティックにアップすることはあり得ません。会社の業績はかなり安定していましたが、アップダウンを繰り返しながら、なだらかな下降トレンドに入っており、将来的に有望な新しい分野への投資や、利益率改善のための抜本的な改革などもありませんでしたので、10年後、20年後も、今と給与はさほど変わらないだろうな……と想像できました。それならそれで不満というほどでもなかったのですが、もし、可能性があるのであれば、成長性のある企業で、今よりも高い給与を得ながら、ビジネスパーソンとして汎用性の高いスキルを身に付けたい、と思うようになりました。

某エージェントに門前払い後、(株)エリートネットワークに出会う

手初めてにリクナビNEXTに登録して企業検索をしましたが、あまり魅力的なポジションはありませんでした。私の場合、同業他社では待遇面の改善が望めませんので、異業種の未経験職種か、関連業界で著作権関連の職種に就くかのどちらかしか選択肢がありません。しかし、前者は待遇面が現状を更に下回ってしまうこと、後者は募集そのものがほとんどないことがネックとなりました。そこで、英語が必要とされるグローバル企業であれば、未経験職種であっても、多少待遇面が良いはずではと思い、インターネットで評判の良かった外資系求人を多く扱うJ社に面談を申し込みました。

が、結果は惨敗。「確かに、今の会社は給与が低いですが、今はどこも厳しいから、このまま頑張った方がいいですよ」 と逆にたしなめられました。これまでの経験業務やスキルの応用性が低く、英語力 (TOEIC830) も中途半端なものだと判断されたのだと思います。しょうがない、それなら定年まで頑張るか……と思っていた頃、リクナビNEXTのスカウト登録を見て下さった(株)エリートネットワークの転職カウンセラーの杉本さんからメールを頂きました。仕事や実務経験だけでなく全人格的なカウンセリングをみっちり受けた後、例えばこんな企業を紹介できるとおっしゃって頂いた企業がどれも魅力的で、ほとんどより好みせずに20社程度書類選考を進めて貰いました。最終的には7社から一次面接のオファーを頂き、うち1社に決まりました。

転職活動を通じて思ったこと

転職活動を始めた当初、本命は平均年収が1000万を超える大手出版社の法務ポジションでした。この魅力的なポジションの募集がなければ、そもそも杉本さんにお会いすることも、本格的な転職活動を始めることもなかったと断言できます。ただ、この出版社は選考スピードが非常に遅く、書類選考に1カ月弱、面接や適性検査の結果は1〜2週間待ちという調子で、決まるかどうかも怪しかったので、同時並行で他の企業にも応募していました。内定を頂いたのは、最後に応募した企業です。実は、その企業に応募することになったのは全くの偶然でした。転職活動を始めて1カ月半ほど経った頃、冒頭の出版社を除いてはもう選考に残っているところがない状況で、外資系ベンチャーのスタートアップメンバー募集の面接を受けに行きました。背水の陣で臨んだ面接でしたが、一通りの自己紹介をすると面接官の方に 「うちでは採用できません」 と言われました。

予想もしていなかった一言に、一瞬ぽかんとしてしまいました。「でも、いい意味です。秘書に向いています」 。この面接官のA氏は日本を代表するIT企業の創業メンバーの女性で、非常に聡明な方でしたが、だからこそ何とも言えない説得力がありました。客観的に適性を見た上で、親切で言って下さっているのだと理解しましたので、面接後、秘書の業務内容や適性について調べた上で、杉本さんに 「秘書に向いている (かも?) 」 とフィードバックしました。すると、ちょうどある有名なITベンチャーの社長秘書の募集が来ているということでご紹介頂き、とんとん拍子で話が決まりました。

運命的なものを感じたのは、その企業の女性面接官 (人事マネージャー) が前職でA氏の直属の部下だったことです。オファー面談の時も 「これは運命だと思うんです」 と言って頂きました。全くの同感でした。待遇的には飛びつきたいほど良いという訳ではありませんでしたが、現職に比べれば年収ベースで10%程度アップですし、何よりも、一連の貴重な出会いと “ご縁” を大切にしたい、という思いが強くありました。また、最終面接の際、上司となる経営者が 「秘書は人生のパートナーです」 と発言していたことも大きかったです。このポジションが会社にとって如何に重要なものかが伝わりましたし、また、従業員を大切にする経営者だということも理解できました。「このポジションは自分でなければ務まらない、自分が必要とされているのだ」 と判断し、出版社の選考を途中で辞退して、この会社に決めました。

終わりに

内定を頂いた会社の社是は 「あたりまえを発明しよう」 です。子供の頃から 「当たり前」 に関心を持ち、考え抜いて来た私のような人間にとっては、正に打って付けの会社かもしれません。当たり前や常識は所与のものではなくて、人が作り出すもので、時代や場所によって微妙に姿を変えていきます。だからこそ、何を当たり前にするかということは、各人に委ねられた選択であり、どんな世の中を実現するかということに繋がる主体的な意思決定だと思います。

これから私の上司となる若き経営者は、世の中を変えたい、と言っています。会社の提供するサービスを通して、少しでも社会へ良い影響を与え、人の行動を変えることを、真摯に考えています。この経営者が自身の目指す経営を実現し、会社を成長させることで社会への影響力を増し、人々の生活をドラスティックに変えていけるように、全力でサポートをしていくつもりです。転職活動は終わりましたが、人生の本番はこれから、という思いを抱いています。転職カウンセラーの杉本さんを始め、今回の転職活動で出会った全ての方々に心からお礼を申し上げます。

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