バカな部・課長につける薬

部下を納得・共感・発奮させる"上役革命"
「バカな部・課長につける薬」

松井 隆 (株式会社リクルート「ガテン」事業部・部長)
東洋経済新報社 1992年3月5日 発行
※弊社代表松井が34歳に執筆し、35歳に出版した著書です。


【第2章】やる気を引き出す人材育成哲学とノウハウ

  • ◆ 松井流、魂の注入法
  • ◆ 教え方にも三つある
  • ◆ ビジネスマンの勉強は、日経新聞からスタート
  • ◆ 読書三段階説
  • ◆ 集合研修による情報共有の促進
  • ◆ 報・連・相が基本
  • ◆ 「これは、勝負だ!」と直感する仕事に出会ったか?
  • ◆ 自分なりに頑張ったは、ダメ
  • ◆ 自分のことが一番判らないのは自分
  • ◆ ポリシーのない人間が伸びる
  • ◆ 自分なりのやり方は一〇年早い
  • ◆ 夢・アンビションに関する考察
  • ◆ 棒ほどに願って針ほどにかなう
  • ◆ 目標達成は逆算方式で
  • ◆ 身近なところにアイドルを!

◆ 松井流、魂の注入法

最初は目を覚ませるために、多少極端に思えるシンボリックな話をし、その後は本人のやる気を負けじ魂を誘発して引き出す。

メラメラか細々か各人によって燃え方は違うが、すべての新入社員は精神的にも肉体的にも、内面に持てるエネルギーの発露を求めているはずである。

潜在意識に火を付けてやり、仕事を進める具体的な方法まで明示してあげるのが、新人教育の王道であろう。そして仕事のみならず公私にわたり積極派人間となり、肯定思考の物の考え方で、やる気を出してくれるなら、それで言うことはない。

良い意味で、貪欲な人生を歩み出してくれるならば、それでよいのである。一〇人いれば一〇人の顔が違うように、新人達はそれぞれ個性も考え方も異なる。しかし、若さというエネルギーを内在していることには今も昔も変りはない。個性を殺さず各自のエネルギーを一〇〇%完全燃焼させる快感を味わわせること、またそのためのプロセスこそが私の言う魂の注入なのである。

◆ 教え方にも三つある

人間誰しも頭ごなしに「ああしろ、こうしろ」と命じられると威圧感を感じ、なんとなく反発したくなるものである。こうした失敗で苦い思いをされた方も多いであろう。新人教育においても、頭ごなしに一方的に押し付けても、結果的に彼らの心に届かなければ何にもならない。

そこで私は、新入社員が自分の好みに合わせて、各人に教え方の中身を選択させてから教育を始めることにしている。こちらの望む到達目標の難易度に応じて、習う側にとって、大まかに三つのコースを用意するのである。選べるコースが三つあるというのがポイントなのである。

学校卒業後間もない彼らにイメージしやすいように、それぞれ名づけて、(1)東大医学部進学コース、(2)とりあえず進学コース、(3)なんとか落第しないコース、というふうに教え方のメニューを松・竹・梅と三パターンつくり、用意しておくのである。

各カリキュラムの具体的内容説明に入る前に、全カリキュラムに共通する前提となる話をしておく。仕事は常にPLAN・DO・CHECKというサイクルで動いており、事前に計画を立てて実行し、その後、反省した点を次回のプランに生かすことである。

(1)東大医学部進学コースを選択するなら、前日に、オフビジネスの時間を活用して、自宅でプランを立て、翌日出社してフル回転でDOを行い、そして、帰宅してから当日の反省と翌日のプランをじっくり練るようなリズムのライフスタイルが必要である。つまり、学校での授業を一生懸命聴くことに加え、翌日の予習とその日の復習をしろ、という意味である。

(2)とりあえず進学コースを選択するのなら、出社して一生懸命に仕事することに加え、前日のプランか当日のチェックのどちらか、自分のやりやすい方を選んで、オフビジネスの間に、予習か復習かのどちらかの時間をきちんと確保した生活のリズムが必要である。

(3)なんとか落第しないコースを選ぶなら、オフビジネスを活用してまで予習、復習に相当するプランやチェックの時間をさく必要はないが、お給料を頂く最低限は働く必要があるので、出社して会社にいる時間だけは、ひたすらDOすることに励みなさい、ということになる。

松・竹・梅のどちらのコースを選ぶにしても、少なくとも会社にいる間は、フル回転でDOすることは必要なのである。しかし、要は、毎日の生活で仕事とプライベートの時間を単純に切り分けるのか、それとも、当面仕事を覚えるまでは生活の中心に仕事を位置づけるのか、というライフスタイルの選択を求めることになるのである。

こういう説明をした後、私は新入社員に対して、「ところで皆さんは、これらの三つの教え方の中でどの教え方を望みますか」と問いかけてみる。そうすると不思議なことに、一〇人中九人までが、松にあたる(1)東大医学部進学コースの教え方を望みます、と答えるのである。逆に、こちらが「このコースは日々たいへんだから、竹か梅にあたる(2)か(3)のコースでいいんじゃないの」と呼び水を向けても、ほとんどその意思は変わらない。これで明らかなように、本来入社したばかりの新入社員は、誰しも潜在的なやる気や向上心は充分持ち合わせているのである。しかし、それらを発揮させるきっかけを与えないばかりに、受け身のままでいたり、上手な動機づけという指示を待っているのかもしれない。

だとすれば、入社して来た新人は、学歴や学校歴には一切関係なく本質的に一線に並んでいるのである。これから改めてビジネスマンとしての(1)東大医学部進学コースを目指して、ともにガンバロウと熱く語りかければ、迷ったり、躊躇したり、眠ったりしているやる気を覚醒し、潜在的エネルギーを触発し、大爆発させることも可能である。

とにかく、入社直後から、(1)東大医学部進学コースを目指すライフスタイルを是として毎日を送る新入社員が多くなれば、自然と競争風土も生まれ、自ずと組織は活性化する。こんな中で新入社員は育たぬはずがない。

◆ ビジネスマンの勉強は、日経新聞からスタート

新人が入社してくると、どこの会社でも部・課長は事ある毎に、勉強しろ、勉強しろと要求する。社会人にとっては、広範な知識や深い教養が必要であり、出来れば一つくらいは専門的に強い分野があればさらに良いことは、誰でもうなずける。

しかし、ほとんどの場合、どのような手順で、何から学び始めるのが適切なのか、というところまで突っ込んだ具体的なアドバイスがないことが多い。だから困るのである。新入社員自身も、勉強の必要性は感じていても、では何から着手すればよいのか戸惑い迷っているうちに、時は経ち、仕事に忙殺され、結局勉強する習慣を持たない労働者となってしまうことが多い。これでは、会社にとっても社会にとっても大きな損失であり、本人に対しても誠に申し訳ない。

そこで私は、勉強するというテーマに関し、入社早々、多少体系だった話をして説明するのである。

勉強するには、大きくわけて三つの方法がある。

(1)人の話を聞く。

(2)自分で体験してみる

(3)活字を読む

(1)の人の話を聞かせてもらうということは、新入社員のような若僧であれば、目上の方や自分より年長者等の人生の先輩から、色々なお話を拝聴させて頂き、耳からインプットすることである。

その対象は、自分の親父さんでも、学校の先輩でも取引先でもよい。平身低頭お願いして、教えを請うことである。

加えて、各種セミナーや講演会にも、オフビジネスの時間を活用し、万障繰り合わせて出席するのがよい。逆に先々、自分がある程度の年齢に達した際には、今度は自分よりも年下の若い人間から、最近の意識や世のトレンドを聴かせてもらうことになるであろう。

そして、せっかく親しい同窓の友達がいるのなら、こちら側から出向いて、会って話を聴かせてもらいにいく事だ。

コンピュータ会社に勤務している者もいるだろうし、保険会社に行っている者も、製鉄会社に勤めている者もいるだろう。それなら、

「高炉メーカーは、どこもリストラクチャリングと言ってるけど、本当のところ何をリストラクチャリングしてるんだ?」と、直接教えてもらうチャンスなどいくらでもあるはずである。

(2)の自分で体験するは読んで字の如し。あらゆる体験を貧欲に求め、特に一般的な日常生活では得難い「非日常」ということが1つのキーワードになるのではないか。もちろん日々の仕事を通して学ぶことこそ、王道であることは説明を待つまでもない。

(3)の活字を読むという方法こそ、方向は明解でわかりやすいが、いざ何から読み始めるかとなると困ってしまう。対象となる出版物の数がおびただしいのと、対象となる分野があまりにも広く、特定しづらいことが原因であろう。

けれども、学校を卒業して社会に出、ビジネスマンとなれば、経済社会の一員として経済活動を行うことになるわけであるから、まず第一は、経済社会全般を知ることに主眼を置くべきであろう。そのとっかかりの方法としては、毎日『日本経済新聞』に目を通すことであろう。敢えて、「目を通す」と書いたのは、まず、『日本経済新聞』に親しみ、経済アレルギーを持たなくなることが肝心なのである。それから、自分の趣味のある項目や、理解しやすい記事から読み始めることである。ところが、しばらく熱意だけで『日本経済新聞』との格闘を演じてみても、次第に分からない専門用語が頻出することに嫌気がさし、ついつい拾い読みとなり、疎遠になってゆく。この壁を打ち破る具体策として、1つの方法を提案したい。それは、私自身が高校生の時に続けた徹底精読法である。

実は、当時の私は、将来は新聞記者になることを真剣に夢みていた。だから、記者になるためには、記事を書けなくてはならない。その前段階として、最低限新聞記事に書いてあることくらいは全部理解出来なければならないだろうと考え、毎日、赤エンピツ片手に知らない言葉や専門用語に片っ端からマルをつけながら、一面から読み進んでいった。同時に赤マルをつけた専門用語は、座右の『現代用語の基礎知識』と首っぴきで、しらみ潰しに一つ一つ調べて理解してから読破していった。

高校生にとっては、『日本経済新聞』など難解過ぎ、『毎日新聞』に振り回されていたのである。赤マルをつけながら読み進むのであるが、やり始めた当初は、一面がほとんど真っ赤になり、しかもいちいち調べながら理解しようとしたら、なんと5~6時間も、たった一面の一ページを精読するのに要したものである。しかし、一見愚鈍に見えるこの勉強方法は、今振り返ってみても、ビジネスマンとして実務を遂行する上で、学校の授業よりも、大学のゼミよりも、何にも増して役に立っていることは間違えない。(学校でお世話になった先生スミマセン)

だから、このやり方は知的好奇心旺盛で向上心のみなぎっている若者には、ぜひとも勤めてみたい正攻法である。

大の社会人なら当時の私のように一面だけで5~6時間もかかることはないだろう。最初は時間を食って平日の分も休日に持ち越す位になるかもしれないが、2~3ヶ月もガマンして続ければ、急に視力が良くなったように世の中がよく見えてくるのである。

◆ 読書三段階説

先ほどの項で、活字からインプットする方法としてまず、『日本経済新聞』を読めるようになることが第一歩であると述べた。しかし、いくら社会人となり、ビジネスマンになったからといっても、別にとりたてて『日本経済新聞』ばかり、朝から晩まで読み耽っていることはないだろうという反論もあろう。全くそのとおりである。

文学の好きな人間であれば、文芸ものを読めばよいし、歴史に興味のある人間であればその分野の本を読めばよいのである。しかし、ビジネスマンとして、最短の時間で実務上必要な知識・見識を漏れなく吸収し、身に付けようとすれば、自ずとより効率的な方法を選択するのが常套であろう。そこで私は、ビジネスマンの読書にもステップアップするためには段階がある、ということを提唱したいのである。

<第一段階>

ビジネスマンになったばかりの20代の前半では『日本経済新聞』をなんとか曲がりなりにも読めるようになることや『ビジネスマナー入門』『新入社員の心得○○条』『時間の上手な使い方のコツ』『バランスシートの見方』、『手形の法律的知識』という類のハウツーものの本を一通り終えてしまうことが望ましい。

<第二段階>

この段階では、経済機構、社会機構全般に精通することに主眼を置くことになる。

このくくりの中では、各上場企業は具体的にどのような事業内容をもっているかとか、日本の企業系列とはどのようになっているのかとか、中央官庁の行政指導とは具体的にどのように行われているのかという実務の延長線にあるかなり広汎なテーマを理解するような読書パターンであることが求められるのである。

とにかく知らなければならないこと、知っておいた方がよいことは、山ほどある。知らない状態であっても、内勤のスタッフ部内にいれば、自分の日常業務にさえ通じていれば、恥をかくようなことはそれほどなかろう。しかし、外勤の営業職なら、知らないのに知っているような顔をつくろってみても、化けの皮など、すぐに剥がされて、勉強不足が一気に露顕してしまう。

例えば、三菱電機さんなら、誰でも三菱系の企業だと気づくであろう。しかし富士電機さんに伺って「メーンバンクは富士銀行さんですか?」と言ってしまったら、もうアウトなのだ。このような信頼の失墜を回復させるには、担当をはずしてもらう以外にはなかろう。

また、「まるぼう」という業界用語は、警察関係ならさしずめ暴走族か暴力団を指す言葉だろうが、建設や鉄鋼関係の業界では「丸棒」を指し、建築用資材のことになる。「丸棒」と暴走族とを混同しているようでは、まとまる話もまとまるまい。

各企業、各業界、経済・社会機構ということに付随するテーマなら、大きな書店の店頭に平積みになっている本であれば何でもよい。『第三の波』や、『メガトレンド』『エクセレントカンパニー』『会社の寿命』『知価革命』『前川リポート』『92年度経済の大予測』『これからの○○業界』『週間東洋経済』『日経ビジネス』等々、この第2段階までの読書量の絶対量が少ないようであっては、各企業において中間管理者として実務上の采配をふるいかつ後輩の指導育成もこなし、企業にとって役立つ管理職であり続けることは覚束ないのである。

つまり第二段階にまでには、ステップアップしておかないと公定歩合が上がったらどういう影響が出るのか、国民総生産の伸びが三%台と五%台とではどれくらい景気の勢いが異なるのか等、現場を預かる責任者として求められる経営的判断が正しく下せないはずである。

<第三段階>

もうこの段階に来れば、何を読んでもかまわないのである。つまり、哲学書でも、宗教関係の本でも、歴史でも芸術でも古典でも、自らの人生観、宇宙観をより磨き高めてくれるような高邁なものでもよいし、それ以外でもよい。

また『盆栽の育て方』や『水墨画入門』『茶の心』といった趣味の域の本であっても、すべて読書することOKなのである。つまり、第二段階までの読書を卒業して、実務をこなし、組織運営してゆくに足りる充分な知識のストックを造りあげてしまっているからである。

一例をあげれば、実務を担うビジネスマンにとって、『会社四季報』を開いてみても、単に数字の羅列としか映らず、その数字から実際の企業の輪郭くらいまで、浮き上がって見えてくるほどのストックもないようでは、哲学どころの話ではなかろう。

一生かけて、どのみち第一段階も第二段階も第三段階も、征覇する読書生活を送るのなら、第一段階から順番に進んでおかないと、定年前になった頃に『ビジネスマナー入門』を読む羽目になってしまいかねない。

出来ることなら、誰しも四〇代に入る前に、ひととおり第二段階は終了しておきたいものである。まさに読書は長い、人生は短いである。

◆ 集合研修による情報共有の促進

各企業における新入社員の集合教育の方法は、一堂に集めて主催者側の用意した何らかの教材やレジュメを配布して、社外の講師や管理職自身が一席ぶつようなパターンが多い。そして、せいぜい新入社員自身の自己紹介と研修での感想文か、決意表明を記入させることが一般的な進め方であろう。

ところが、このような進行では、肝心の参加者である新人自らが、どうしてもお客様の域を出ず、まるで映画館の客席にいるのと何ら変らなくなってしまいかねない。ポイントは、研修の日時と場所を連絡する際、事前に新人に課題を与え、簡単なレポートとしてまとめて提出してもらうことである。

その際のテーマとして、私は、次のような内容を指定することにしている。

○入社して以来学んだこと、感じたこと、気付いたことを率直に記入して下さい。

○自分が、仕事の上で留意している点、工夫してる点、特に心掛けている点があれば記入して下さい。

○仕事以外の面で、多少自慢出来ること、特技、ちっちゃな記録、珍しい体験があれば遠慮せず記入して下さい。 etc.

このようなテーマの短いレポートを見れば、各新人が初めての企業というものとの接触の中で、何を感じ、どのように思ったのかが、如実に見えてくる。すなわち、社会人としての自覚や基本スタンスの修得度合に関するさながら、アチーブメントテストの意味合いを持つことになる。

そして、この事前レポートをコピーし、参加者全員にも配布することによって、新人自身が、自らの社会人としての到達度を、全参加者の中での偏差値のごとく位置づけることが出来る。こうして、さらなるやる気を促すことにも繋がってくる。先頭集団の頑張りぶりが、全員に波及効果をもたらすのである。

また仕事以外での、ちょっと自慢できる照れ臭い事実や体験が共有されることによって、新人相互のコミュニケーションを誘発し、自然と"同期の桜"の連帯感も培われるという副次効果も生む。このような事前レポートによる何気ない、ちょっとしたプロデューサーシップが、集合研修をより実り多きものとしてくれる。

◆ 報・連・相が基本

新人にとって(1)業務の中で、最も大切なことはペーペーシップという概念に包括される仕事であると述べた。ペーペーシップに属する仕事の中で、花見の陣取りや慰安旅行の際の下足番などの役割は、シンボリックでわかりやすい仕事である。

しかし、日々の通常業務の中で、新人にとって一番大切な(1)業務は、上司への報告・連絡・相談である。つまり、会社での非日常のハレの日におけるペーペーシップが、陣取りや下足番であるなら、日々のケの日におけるペーペーシップが、報告・連絡・相談となる。

また、管理職にとっては、たとえ総務課長であっても、営業課長であっても部下から報告をさせ、連絡を受け、相談に乗ることが、管理職としての(1)業務の基本であり、原点であると言える。

内勤のメンバーを預かる管理職なら、比較的、報・連・相は受けやすいが、外勤の営業担当者を預かる管理職にとっては、毎日確実にこなそうとすれば、かなりの負担である。デイタイムの間は、外出中の営業担当者からの連絡を電話で受け、夕方以降、順次帰社して来る各メンバーから一日の報告を受け、メンバーが指示を請いたい案件にはじっくり相談に乗ることになるので、たくさんの人数を預かる管理者は、時間的な面でも大変となる。

ところが、管理職が2~3日報・連・相のレシーバー役をサボったり、手を抜いたとしても、すぐにはそのことによって生じるマイナスは露顕しない。しかし、中・長期的に見れば、日常の報・連・相にをどれだけきっちりとさせているか、およびその際メンバーからの相談に対して、いかに適切なアドバイスが出来ているか否かの差は、歴然と出てくるのである。この差こそが管理職としての力量の差であり、この力量を向上させること自体、管理職のレベルアップそのものであるといえる。

そもそも、仕事は、すべてPLAN・DO・CHECKのサイクルで動いている。このサイクルは、奇妙なことに報・連・相と符合するのである。(図2・1)

PLAN・DO・CHECK サイクル

図2・1 PLAN・DO・CHECK サイクル

つまり、最初の報告とは、一日の業務をすべて要約して上司に報告して、果たしてそれでよかったのかどうかチェックしてもらうことになる。次の連絡とは、メンバーがDOしている最中に、途中経過が気掛かりな上司に知らせて安心させると同時に、自らの動きを把握してもらうことになる。最後の相談とは、メンバーにとっての未体験の事柄や、単独で判断を下しかねる案件に遭遇した際、具体的な指示を仰ぐという意味でプランに当る。

要は、メンバーに対しては、毎日確実に報・連・相することを求め、自らはどれほど忙しくても、毎日欠かさず全メンバーからの報・連・相をきっちりと受け止めることである。特に外勤時間の長い営業職の場合には、社内で完結する仕事と異なり、相手がお客様であるため本人の予想外、経験外の対応を迫られる確率が内勤職に比べて10倍くらい高いことが常である。だから、もしたった一日でも営業職のメンバーが報・連・相をしないまま退社するようなことがあれば、内勤職の人間から、まるまる10日間も一言たりとも報・連・相を受けないまま看過することと同じことになってしまうのである。特に、経済社会の中で一番の弱者である新入社員の営業担当に対しては、管理職は、毎日、腕によりをかけて、報・連・相を受けてあげるくらいの気持ちでちょうど良い。このことが励行されている管理職のもとでは、新人がつぶされてしまうことなど決してないのである。

とにかく、新入社員にとっても、管理職にとっても、互いの合言葉は報・連・相であり、日々の濃密な報・連・相こそが、お互いを繋ぐ、信頼の絆であることに違いはない。

◆ 「これは、勝負だ!」と直感する仕事に出会ったか?

入社して、当分の間は誰しも、(1)業務を覚えることだけで精一杯で、右往左往する日々が続く。しかし、徐々に会社にも担当する仕事にも慣れ、ようやく自分の給料分くらいは会社に貢献しているかな、という気になってくる。

そして、背伸びしなくてはならないような仕事も託され、なんとかこなせば、一人前扱いされ、自分自身も役に立っていると感じることが嬉しく思われる。ここで油断してはいけないのである。

新人時代とは、修行時代とは、それほど肌触りのよいものではないのである。自分が担当する仕事が余程の単純繰り返し作業でもない限り、日々取り組む個々の仕事はそれぞれ、自分にとっての重要さや組織にとっての意味合いが、微妙に違っていて然るべきだと考えるのが妥当であろう。

振り返っても、学生時代ただ漫然と先生の講義を聞き流していると、何が大切で、どこが試験に出るのか、皆目見当もつかない。しかし、興味津々で授業に集中していると先生の口調やニュアンスで、「出そうだ!」という勘が働くものである。

つまり、慣れとは恐ろしいもので、新入社員もいつの間にか、ベテラン面になり、出くわす仕事毎の重要さ加減を見極めもしないで、ついつい流してしまう惰性に陥りかねない。換言すれば自らの魂の脱け殻の肉体が反射運動的に作業している状態になってしまっているのである。

ところが、ある程度仕事に習熟してからも、初心忘れるべからずで、個々の仕事のすべてに正攻法で相対峙し、真剣に挑んでいれば「ひらめき」を感ずるのである。

仕事毎の意義や、ただ今現在だけのかかわりではなく、それぞれの仕事がもたらす将来的な意味、影響に至るまで、見えるようになってくる。こうなれば、しめたものなのである。別に節目となる勘所だけを要領よく押さえれば事足れりと言うのではない。

私自身、新人としてまさに駆け出しの営業担当だった頃の思い出がある。

それは、入社一年目の8月のことである。とある飲料用自動販売機専門商社に、求人広告の案内に出入りさせてもらっていた時のことだ。ある日その会社の部長さんから、「松井君は熱心だから、一度、裏表紙に広告を出してあげよう!」と有り難いお返事を頂いた。ご存知のように、裏表紙は、雑誌媒体の中で一番根の張るところである。ところが、喜んだのも束の間、「その代わり一つ条件がある。うちのジュースの自動販売機を君が一台買ってくれたら、である」と。

そのあたりの自販機から、缶ジュース一本買うのとは訳が違う。何しろ、自動販売機そのものを一台買えとおっしゃるのである。思わず、「一台おいくらですか?」と尋ねたら、な、な、なんと、65万円もするではないか。学校を出てたった5ヶ月目のことである。

「そんなことおっしゃらずに、広告だけお願いします」などと、うまく切り返す交渉力など持ち合わせていない。

必死の思いで、そんな交換条件など引っ込めて頂くようお願いをしてみても、ペーペーの新人では歯が立とうはずもない。先方の部長さんと防戦一方のやり取りを重ねながらも、なぜかとっさに、この仕事は、自分の成長にとって大事だぞ、多少のことには目をつむっても、思い切って、一気に勝負をかけろという気になった。

もし、こちらのお取引先から大きな注文を頂くことが出来れば、新人の自分にとっては、金星であり、しかもこのお客様を核に先々は、もっと安定した営業活動を展開することが出来るのでは、と直感した。そして、その場で、「一回ではなく、10回広告を出して頂けるのでしたら、思い切って買わせてもらいます!」と本気で答えたら、逆にびっくりなさったのは、当の部長さん。支払いはマル専手形という方法になるが、万一途中で反故にするようなことにでもなれば、君の将来にとってまずいこと(以後、銀行取引が出来なくなること)になってしまうよと、今度は諭される始末。

しかし、私は、長いビジネス生活のスタートで、弾みとなる注文を頂くことと、数十万円自腹を切ることの痛みを秤にかけてみた。当然、現時点では痛くても、頭の中のとてつもなく大きな算盤を弾けば安い買い物だと、たかをくくれたのである。この部長さんのお陰で、私は極めて早くヨチヨチ歩きの状態から、一人歩き出来るきっかけをつかむことが出来たのである。一気呵成で勝負に出ようと感じたことと、思い切った大胆な決断が下せたこと。この二つは、愚直なまでの全力投球のなせる技と言えよう。

つまり、ぺーぺーならぺーぺーなりに、たとえ経験と知識はなくとも、日々真剣に努力を重ねていれば、ここ一番勝負を賭けるに値する仕事なり、タイミングは天からの啓示のように見えるし、挑んだ勝負さえも、ものにすることが出来るのである。だから入社2~3年以内に、自分のビジネスライフにとって、一つ目の「勝負だ!」と感じる仕事に出会ったかどうかが、日々仕事と真剣勝負が出来ているか否かのバロメーターであろう。

◆ 自分なりに頑張ったは、ダメ

仕事がうまくゆかなかったり、物事に失敗した際に、「自分なりに頑張った」んだから仕方ないと自らを合理化したり、また、まわりも「あなたなりに頑張ったんだから、元気を出してよ」などという言葉を掛けて、なぐさめている光景をしばしば目にする。でも、私に言わせれば、新人教育上は次回以降に繋がる学習効果の極めて少ない、情緒的な言葉に思えてならない。

というのは、自分なりにしか頑張らなかったからうまくゆかず、結果的に失敗したわけであり、つまり努力不足なのであり、努力の水準が低過ぎたのである。では、どのようにすればよいのか?

ひとことで言えば、社会規範なりに頑張ればよいのである。

ある目的に向かって、自分なりに頑張るのは、大いに結構なことである。しかし、従来からあまり努力をしたり、頑張ったりした体験の乏しい人が、突然、自分なりに頑張ってもうまくゆくはずがない。元来、自分自身で努力したと感じる、いや、思い込む努力なり、頑張りのレベルが相対的に低いから、他人からみれば微塵のような努力しかしてなくても、当の本人にとっては、自分なりにかなり努力したと思えてしまうのである。つまり、自分なりに頑張ったとなるのである。

端的な例を示そう。入学試験へのチャレンジである。

合格する人もいるし、残念ながら不合格となる人もいる。ただ、合格者も不合格者も、本人に問えば、皆自分なりに頑張ったと感じるに違いない。要は、自己認知による頑張りと、他者認知、社会規範という物指しを当てた場合の頑張りには当然差があり、自己認知だけに頼る頑張りの指標は、この際捨て去らねばならないということである。受験生にとっては、自分なりの頑張りから、合格者なりの頑張りに水準訂正して、努力を重ねれば、合格により近づくというものであろう。

新入社員にとっては、自分なりに頑張ったから、成功者なりの頑張りに、一気に水準訂正を行い、努力を重ねれば、成功に一歩でも近づくという図式になろう。

だから、社会人一年生は、自分なりに頑張らずに、社会規範なりに頑張る癖をつける絶好の機会であり、それも最後の機会ではなかろうか。

◆ 自分のことが一番判らないのは自分

人間誰しも、よくわかっているつもり、よく見えているつもりでいても、最も見えないのが自分自身であるということを認識し、自覚することはむずかしい。このことが、本当に理解出来れば、どんな新人でも、第三者の目から見た公正なアドバイスを、素直に謙虚に受け入れることが出来、猛スピードで成長するようになる。

その理屈はこうである。

まわりからの全てのアドバイスを乾いたスポンジのようにすぐに受け入れ、ただちに行動に移してみると、予想外にスムーズに事が運ぶこと自体に、新人自身が一種心地良い驚きを感ずるに違いない。

そして、さらに意欲的に吸収して、どんどんどんどん伸びゆく。おまけに回りのアドバイスする側の人間からみても、そのような姿勢を持った新人こそ、いくら言ってやってもなかなか受け入れない奴に比べて、ずっとかわいげがあり、もっともっとアドバイスしてあげようという気になってしまうのである。このように、先輩や組織の懐に抱かれて、育ま

れてゆくという好循環に入ってしまえば、驚異の成長を遂げることが出来るのである。しかし、このような好循環に入ることが出来るか否かのカギは、すべて一番最初に頂いたア

ドバイスをすぐさま受け入れ、アドバイスした側の人間にまた教えてやろうという気を起こさせるかどうかにかかっているのだ。だから、ここでも「最初が肝心」となるわけである。元来組織というものは、どんな組織でも、新参者が入って来れば自らの組織の延命・発展のため、教え育もうとする力を先天的に内在しているものなのである。

しかし、現実には朝から晩まで、ひたすら新人に教育する専任の役割の人間など、どこの組織にも数多く置けるはずはないのである。だから、忙しい仕事の合間を割いてアドバイスをしてくれる先輩は、何にも増して、貴重な存在なのである。にも拘わらず、当の新人が、教えてもらう側が具備していなければならない最低限の礼と節(すなわち、素直に取り入れ、すぐさま実行に移すということ)を欠く仕打ちを繰り返すようであれば、近い将来、もう誰からもアドバイスをしてもらえず、孤立してゆくのは自明の理となる。まさに、われを滅ぼす原因はわれにあると理解せねばならない。

私はこのことを身をもって知ってもらうために、少し変わった実地研修を課すことにしている。

「その髪型、自分では一番気に入っているのだろうけど、本当に似合っていると思う?」と新人の女性社員をダシに使わせてもらって、こう聞くのである。

すると、彼女達はちょっと困ったような顔をして、

「長い髪の毛が好きだったので」とか「なんとなく以前からこんな形だったので」という答えが返ってくるものだ。大体は、昔からこうしているという理由で、当然確固たる裏付があるわけではない。

「自分のことは、自分が一番わからないものだよ。後ろから、斜めからその髪型がどう見えるか自分で直接見たことある?」

中には三面鏡で、毎日チェックしているという人もいるかもしれないが、ほとんどは「自分では良く見えません」と言うはずである。

そこで本題である。

「だまされたと思って、来月、初めてお給料をもらったら、一流ホテルの美容室に行ってみてごらん。そこで、何も具体的注文を付けずに、『私は今年から就職した新入社員なんですけれど、全てお任せしますので、専門家としてご覧になって一番、似合う髪形にしてください。』とだけ言ってみたら……」

行ってみて、もし誰からも似合わない、と言われたら私が代わりに料金払ってやるから、行ってみてごらんと念を押すと、仕方なくだまされたような顔をして、ヘアーサロンに行くのである。

デビュー前のアイドル歌手のことを見ればわかるように、専門家が付くことによって見違えるほどに変る。たとえ本人が違和感を感じ、まだしっくりこないなあとの思いを抱いていても、翌朝恐る恐る出社してみると、十人中九人までが「いいねえー」「ずっとよくなったよ」「素敵よ」などと、必ずその変貌振りをほめ、賞賛してくれるのが常である。

このように周りからフィードバックされて始めて、自分ひとりの思い込みだけでは不完全で、一番良く見えているはずの自分自身が、最も見えていないのでは、とほのかに気づくことになる。

そこで、すかさず、

自分自身では良いと思っていても、案外一方的な思い込みであり、第三者の見たアドバイスのほうがずっと的を射ていることが、「髪形一つ例にとってもあてはまるんじゃない」と教えれば、どんな新人でも納得してくれる。

その後は、乾いたスポンジのように、周りからのアドバイスを、どんどん、どんどん吸収して、まっすぐ大きく成長してゆく姿は想像に難くなかろう。

身近な実体験は、小難しい話などより、ずっと説得力があるものである。

◆ ポリシーのない人間が伸びる

ポリシーがないと言うのは、別に政治的に不偏不党のイデオロギーを持っているという意味ではない。伸びる可能性のある人間とは、つまらない価値観、若いのに凝り固まった考え方で、頭の中が詰まっていない新入社員のことを指す。そのような可能性のある若者は、心が真っ白であるが故に、外見的には一見、信念の欠如した優柔不断な人間のように映るかもしれない。でも、精神力や克己心が弱いが故にそのように見える人間とは異なり、一線を画さなければならないことを銘記しておきたい。

反対に、伸びない新人、成長が止まる人間は、学生時代までは学業が優秀であったり、小さい頃は地元の神童と呼ばれたりした結果、学校を卒業してからも自分は優れているのだと勘違いした思い込みと、思い上がりを持ったまま、社会人1年生となってくる新人である。

理由は、簡単である。学生時代には、中学の学業の延長線上の高校での学業があり、高校での学業の延長線上に大学での学業がのっかるという現状からみても、中学卒業時における優秀さは、高校一年生としての優秀さに結びつき、高校卒業時における優秀さは、大学一年生としての優秀さに繋がることは、常識的にもうなづけよう。

しかし学生時代における優秀さと、一般的社会人として、またビジネスマンとしての優秀さの価値基準は、根本的に違うのである。学生時代は机上の理論、知識を知ってさえいれば事足りていた。けれども、実社会においては、知っているだけでは全くお話にもならず、実行出来て、成果に現れて、初めて認められ、「よし」ということになる。

学生生活の延長線上に社会人生活がある、などと思うから最初からつまづいてしまうのである。要するに、社会人と学生の評価の物指しは、延長線にあるのではなく、数学でいうところの「ねじれの位置関係」にあり、永遠に交わることはないと考えるくらいでちょうどいいのである。

だから、社会人一年生のスタートは、それまでの蓄積や価値基準をすべて放棄する必要はないが、一旦それらを横に置き、再スタートを切るくらいの心構えが大切なのである。

ところが、これがなかなか難しい。学生時代、優秀な部類に入った人間は、どうしても過去の栄光が頭をよぎり、これまでの自分を捨てきれないまま、かつ頭が高いまま、社会人となってしまうのである。

学校を卒業するせいぜい二〇歳前後くらいまでの、人間形成上からみれば発展途上の真っ只中にあるところで、未完成な価値観に囚われたままになってしまうのは、余りにも残念すぎる。セミが古い殻を背負ったまま一生を生きてゆくようなものである。この先五〇も六〇年も洋々と広がるビジネスライフが、生まれてこのかた二〇年間くらいしか練られていない、稚拙な物の見方で支配されるのはどう考えてみてもやりきれない。

その踏ん切りがつかず、元来発展途上期にある未成熟な価値観に拘泥し過ぎると、スタート時点から、やることなすことすべて裏目に出、身動きがとれなくなってしまう。結果的に、一見ポリシーが無いように見える、真っ白で素直な人間のほうが伸びるということになる。要するに「あまり安っぽい、ちっぽけなプライドなんか持たずに、いくら学生時代に優秀であっても、社会人になったら、全然違うのだから、どんどん周りの人から吸収してゆこう」ということをわからせてあげることである。

このアク抜きにさえ成功すれば、逆に、アクの強かった人間の方が、災い転じて福となすように、よく伸びるのもまた真なりである。

◆ 自分なりのやり方は10年早い

半端にオツムだけ賢い新人に限って、突然、「私なりの仕事のやり方でやらせてもらいます」と言い出すことがしばしばある。

これが一番困る。

特に昨今の若者は、単純で単調な繰り返しを嫌い、目先の変わった変化に富んだ仕事をおもしろい仕事だと感じる傾向が強い。規格のパターン化や作業手順のシステム化は、確かに手作り感や仕事の上でのささやかな喜びを疎外する面も否定できない。また、現在の仕事の進め方、やり方に関しても、経験はなくともある面では、第三者の新入社員特有の新鮮な目からみると、岡目八目で多少のムダやムラが目に付くはずであろう。それが原因で、すべてが旧態依然とした職場に思えることも少なくなかろう。だから勢い従来のやり方を全面を否定したくなるような気持ちに駆られ、辛抱出来なくなってしまうのである。

しかし、それぞれの組織や企業に於る仕事の進め方、やり方に関しては、何十年、場合によっては、100年以上の歴史の風雪に鍛えられ、耐え抜いて今日に至った古典であり、

定形なのである。事務処理にも、営業活動にも、誰がやってみても、おおむね効率的で能率がよく、当たり外れのない型が、どこの企業や組織にもある程度確立されているのである。この「型」というものを一旦受け入れることを忘れてはなるまい。

自分なりの新しい独自のやり方を、新入社員が最初から編み出そうとすることなど、愚の骨頂である。ちょうど、公式、公理、定理、法則、鉄則、摂理を無視して、事に臨むのと同じことを意味する。先輩の知恵の凝縮されたエッセンスを活用しないことは、何より貴重な時間を捨てている行為に等しいのである。

それでも、やっぱり昨今は、「自分の独自のやり方でやってみたいです。」と言い張る輩に出くわす。そういう場合は仕方なく「当社も企業として多少ゆとりも出て来たから、君1人くらいは自分の人生を賭けて、生体実験をやるのもいいだろう。この先、50年間費やして、自分なりのやり方を探すのだったら、だまって見守ってあげるから、やってごらん」と言ってみる。そうすると、ほとんどの新人が、「いや、結構です。やっぱり怖いです」と前言撤回となる。ここまで明確に教えてあげないと、新人である自分が一時の思いつきで、やってみようとしていることの重大さがわからない。

本人の主体性を重んじるのは大切であるが、仕事の右も左もわからぬ新入社員なら、少なくとも入社後10年間くらいは、ひたすら先輩諸兄が編み出し長年の風雪に耐えたオーソドックスなやり方のみを模倣し、学び、吸収することに励むことが原則であろう。ピカソもサルバドール・ダリも、しっかりしたデッサンを描ける勉強を積んだ後、抽象画を描き出したのである。それらオーソドックスな方法を完全に自らのものにした暁には、今度は組織や企業の発展のために、従来とは違ったやり方や方式を創造し、従来からの古典に新たな一ページを付け加えてもらえればよいのである。最初の10年間は「故きを温ねて新しきを知る」ための準備期間と腹をくくり、その間、組織の蓄えた蓄積を思う存分学び取ることが賢明であろう。

ただし、10年間耐えしのんで、ペーペーとしての拘留期間が解かれ、晴れて自らのやり方を具申できる自由人となったにも拘わらず、いつの間にか、その組織に心の髄までどっぷりと浸り切ってしまったがために、フツーのサラリーマンに堕してしまう人のなんと多いことか。男は常に、「いざ鎌倉」という時のために、刀を磨き続けていることが大事なのである。この10年間こそ、冬眠してそのまま眠ったような男に成り下がるのではなく、臥薪嘗胆の身でなければならないのは言うまでもない。

◆ 夢・アンビションに関する考察

各企業の部・課長という立場にある人から、「近頃の若者は、なんとなく覇気がなくてねえ」とか、「物質的に豊かな時代になったから、ハングリー精神に欠けて困るね」という嘆息を耳にする。また新入社員自身も、こういう類のお小言を頂戴し、またかと顔をしかめる思いをしたことがあろう。

たしかに、食うや食わずの時代の若者と、生まれた時から飽食暖衣の時代に育った新人とでは、直接的な意味でのハングリー精神には、格段に差があって然るべきであろう。

しかし、自分の将来はこのようになりたい、または、こうありたい、このようなことをしていたい、という明確な夢や志さえ持っていれば、その目標を心より追い求める飢餓感は必然的に生まれるものであり、まわりの目にも、いわゆるハングリーな奴だと映るであろう。

残念ながら、その夢や志自体が明確になっていない新人が多いのが、現代の大きな特徴であろう。昔なら敢えて何も考えていなくても、とりあえず腹一杯白い飯が食いたいという原始的な目的があったから、何分の一かは救われた。だから、私は新入社員各自に、「あなたの人生の目標は何ですか?」と問いかけてみる。

もちろん、明確な答を返してくる者も当然いる。たとえば、「将来は、社長になることです」とか、「技術を勉強し、特許をとることです」とか、「自分のお店を持つことです」とか、「家業を継ぎ、発展させることです」とか「ボランティアとして福祉に貢献することです」等々。

ところが、私の見る限り半分以上の新入社員は、まともに自らの人生で目指すところを答えることが出来ないのである。そこで私は、新人に自らの人生で目指すもの、成し遂げたいと念じるアンビション(ambition)は一体何なのかをはっきりと心の中に描かせるべく、一定時間を彼らに預けて、それからもういっぺん聞かせてもらうことにしている。

そのためには、入社早々、自らの夢やアンビションを、衆人見守る中で語ってもらうという研修プログラムは、極めて有効である。そこでは、志がはっきりしている新人も、はっきりしていない人間ならなおさら、人生の目標とする事柄をしっかりと自分自身で確立することが何よりも大切であると気づくのである。万一、新人が定めた志が反社会的であったり、利己的で普遍的納得感を欠く場合は、上司がじっくり膝つき合せて修正してあげればよいのである。

このような手順で、各自が自らの夢なり、目指すことをみんなの前で堂々と胸を張って発表できるくらいになればよいのである。

先々の目標がなかったり、不明解なまま、生活の糧のみを得るために、ただなんとなく会社に来てみても、仕事に対する強烈なモチベーションなど生まれようもない。

さらに言えば、自らの目標とするところを全霊全魂を込めて、思索をめぐらし練り上げてゆくという行為は、極めて人間的であり、自己実現の大部分を制するやり甲斐のある作業である。まして、上司や先輩から言われたから仕方なくやるような課題でも、厄介事でも、何でもないことを再確認しておきたい。

どんな有能な管理職であっても、各人の自己実現にまつわる夢やアンビションそのもの自体を、直接教えてあげる教師にはなれないのである。この部分だけには、マニュアルはないのいだ。

だから、このような手順で、新人自らの夢やアンビションを確立するきっかけや場づくりを演出するプロデューサーシップこそ、管理職には求められる。

このようなロジックで考えてみると、教える立場にある人間の人生の目標なり、その普遍的納得性こそ、敢えてチェックしてみる必要があるのかもしれない。

私自身は昭和五五年入社の日本のビジネスマンの中で、ナンバーワンになろうと思った。リクルートだけではなく、商社、銀行、メーカー、あらゆるところに何十万人といたであろう同期をライバルに見立てたのである。

もし仮に、ビジネスマンオリンピックが、東京ドームで開催されることにでもなれば絶対に優勝してみせるぞ、というぐらいの意気込みを持っていた。

結果として、そのアンビションを達成したかどうかは神のみぞ知るである。しかし、後述するように、それが励みとなり、ずいぶん努力したものだ。

◆ 棒ほどに願って針ほどにかなう

先ほどの項では、仕事に取り組む以前に、新人自身の人生の夢やアンビションが明確に描かれていることが、第一条件であることを述べた。ここでは、第二の条件を、図を交えながら説明してゆきたい。

第二の条件とは、ずばりその夢やアンビションが、途方もなく大きくなければならないのである。まさに「大きいことは、いいことだ!」である。各人の抱く夢やアンビションのような概念的なものを、第三者が計測し定量化することは困難であることは、言うまでもない。しかし、ここでは、話をわかりやすくするために、あえて図式化してみることにする。

ここに、

「A君のアンビション」

「B君のアンビション」

「C君のアンビション」

と三つのモデルがある。(図2・2)各人のアンビションを車のタイヤにたとえてみる。誰しも人生航路を進んでいく上で、必ず幾度となく障害となるものにぶつかる。

アンビション

図2・2 各人のアンビション例

この時、アンビションであるタイヤの半径のrが小さければ、いくら頑張れと励ましても、動きようがない。逆に障害に押し戻されてしまうのである。

「青春の蹉跌だ」

「壁にぶつかった」

「俺はスランプだ」

という言葉を軽々と口にしている連中がいるが、もともとのアンビションがちっぽけなだけなのである。この図を見ればそれがはっきりする。

アンビションが大きければ、少しぐらい障害物があったとしても、ごろんと越えてしまうのだ。実際、新入社員をあちこちで見ていて、伸びている人間の夢やアンビションは格段に大きい。

おそらく、世界チャンピオンの座に着いたようなボクサーに少年の頃「君のアンビションは何かな?」と尋ねたとしたら、過分とも言えるとてつもなく大きなアンビションを語ってくれるに違いない。

さしあたり受験勉強以外、人生の節目を体験せず、つるんと学校を出て入社して来たようなタイプの新人は、「早く一人前になることです」「何となく成功することです」ぐらいのことしか言わない。これではタイヤのrの距離はたかだかしれている。いくら学業が優秀であったとしても、これではちょっとした障害でも蹴躓いて、そのまま立ち上がれなくなってしまうのである。

「世界チャンピオンになること」でも、「大会社を経営すること」でも「総理大臣になること」でもいい。取りあえずは、成就するには、少なからぬ困難が伴い、相当な努力も時間も要する出来る限り大きな夢やアンビションを設定することである。それだけでも彼らの仕事に対するモチベーションは飛躍的に向上する。

そう言えば、旧ソ連のペレストロイカが始まるずっと前に、あの広大な国を自由化して、国ごと地上げしてみたい、とうそぶいていた新入社員がいた。彼は、今もその言葉のスケールどおりの勢いで成長を続けている。

◆ 目標達成は逆算方式で

先ほどから、人生の夢・アンビションを確立し、その夢やアンビションが極力大きい

ことが望ましいことを述べてきた。

ここでは、第三の条件として、長期の夢・アンビション、中期の指標・目標、直近の課題と時系列的に落とし込んでゆく作業も加えておきたいのである。

理由は、とてつもなく大きな夢やアンビションを描いてみても、じゃあ、今からすぐに自分がどのように行動すればよいのかを、具体的な行動レベルの目標として、イメージし直しておく必要があるからである。でなければ、頭の中には、夢もアンビションも明確になったから、あとはひたすら今日も頑張る、明日も頑張る、また明後日も頑張るとなってしまう。ところが、このような積み上げ方式のパターンで取り組んだ場合、その方法と自らのチェックが少しでも甘いと、努力はしているものの、結局いつまで経っても究極の目標には、到達しないという結果に終わってしまう。

一方、長期の夢やアンビションを達成するためには、日々どのような行動をすればよいのかを逆算方式で考え、先に将来から現在を振り返るように見通して、長期の目標、中期の目標、直近の課題と割り出してくるのがよい。

たとえば、「将来、総理大臣になりたい!」という夢、アンビションを持ったとする。歴代の総理大臣は少なくとも過去数回の国会議員当選歴がある。そのためには四〇代で国会議員に選ばれなくてはならない。しかし、一気に代議士になれるはずもない。それなら、比較的身近な村会議員から立候補しよう。村会議員といえども、地盤も看板もなければ到底かなわない。ならば、何年間は先輩政治家の鞄持ちをやらせてもらいながら、政治のイロハを学ぶと同時に、とり急ぎ自分の住む町内会の世話役を買って出ることにしよう。

このように、長期の夢が総理大臣だとすれば、中期の指標は四〇歳代での国会議員となる。そして、直近の課題は政治を学ぶために鞄持ちをしながら、自らの信用を売ることになる。

ボーリング場で投球する際には、直接、遠方の一〇本のピンを狙うより、レーン手前のスパットを目印に、ひたすら投げ続けるのがスコアメイクに繋がるのと似ている。夢である一〇本のピンばかりを追い求めていると、肝心の足元が覚束なくなり、浮世離れを起こしかねない。逆に、目前のスパットばかりに近視眼的に目が行き過ぎてしまうと、先ほどの積み上げ方式の弊となりかねない。

つまり、夢である一〇本のピンと、直近の課題であるスパットの二つを同時ににらみながら、進むのがよいということである。それから先は、自らが設定した中期的な指標と、時間的経過とをにらめっこしながら、努力を重ねてゆけばよいのである。

スタート後五キロメートル地点、一〇キロメートル地点で何分、そして折り返し地点では何分と、自らのラップをチェックしながら、ペースをコントロールし走り続けるマラソンランナーの如く、人生の夢・アンビションのゴールに向けて駆けてゆけばよい。

要するに、大きな夢・アンビションを描いて、その実現に向けてフローチャートを少なくとも、長期、中期、短期と大まかに時系列的に三つくらいに分けて描き、具体的方策と通過時点でのラップタイムが整理出来ていることが重要なのである。

事実、勢いよく伸びている新入社員は、頭の中に三つのイメージが鮮明に出来上がっており、「長期の夢は?中期の目標は?直近の課題は?」と、三つをセットに質問しても、整然たる答が返ってくるのが常である。

最低限、将来の夢と、今すぐ着手しなければならない直近の課題の二つさえはっきりと答えられれば、半ばオーライなのであり、そのまま突き進んでも問題はなかろう。

◆ 身近なところにアイドルを!

人生での大きな夢、アンビションを明確に持つこと、およびその実現のために、長期の目標、中期の目標、直近の課題を逆算方式で割り出してくる作業が大切であることは先ほど述べた。ここでは、新入社員がこの直近の課題を解決してゆくための実行しやすい具体的な方法をひとつ提案したい。

それは、ズバリ、自分の身近なところにアイドルを持つことである。ここで言うアイドル(idol)とは、人気タレントや有名人のことではない。つまり、自分の職場や所属する組織の先輩や上司の中から、勝手に誰かを選んで、仕事上の歩く目標とさせてもらうことである。

いくら一生懸命、自分の頭の中で直近の課題を割り出したとしても、所詮、概念的な課題であったり、成否をチェックしにくい抽象的なイメージであることが多い。だからこそ、抽象的課題を具象に転換することが意味を持つのである。

信仰においても、天に向かって祈れと言われても、やりづらいが、目に見える形で具体的な像があった方が拝みやすいのである。

だから、自分以上に、仕事が出来る先輩や上司を一方的に心の中のアイドルに祭り上げ、そのアイドルに一歩でも二歩でも近づき、やがて肩を並べることを目安とするのである。

このようにすれば、自らの力量の向上度合いを、日々、自分でも確認しながら励むことが出来よう。

もし、心に定めたアイドルに比肩するくらいまで、自分がレベルアップし、そのアイドルが色褪せて見えてくれば、小さくなった洋服を脱ぎ捨てるように、次々とアイドルを乗り替えていってもかまわないのである。

アイドルは、銀幕やブラウン管の中にいるような遠い存在ではなく、身近な所にいてこそ、自らの成長を助けてくれるのである。だから、今すぐに自分自身のアイドル捜しから始めようではないか。自分のまわりを見渡してみても、見つからない場合は、新人自身が慢心の極致にあるか、はたまた、本人の属する組織自体に本当に魅力がないのか、どちらかであろう。

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当社は、全国に約20,000事業所ある人材紹介会社の中で、厚生労働省が審査し、 わずか39社しか選ばれない「職業紹介優良事業者」に認定されています。
※平成26年(第一回認定):全国で27社のみ、平成30年:全国で43社のみ(第二回認定)、令和2年:全国で39社のみ(第三回認定)
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