バカな部・課長につける薬

部下を納得・共感・発奮させる"上役革命"
「バカな部・課長につける薬」

松井 隆 (株式会社リクルート「ガテン」事業部・部長)
東洋経済新報社 1992年3月5日 発行


【第1章】「でたらめ、思いつき」のマネジメントに気づけ!

  • ◆ 最初が肝心
  • ◆ まずは、正しいおはようございます
  • ◆ 仕事には(1)業務と(2)職務がある
  • ◆ 窓際族を決めるのは誰か?
  • ◆ リーダーシップとペーペーシップ
  • ◆ 男のハイは死んでもハイ
  • ◆ 軍隊行進から逃げる方法
  • ◆ 恩返しの力学にあやかろう
  • ◆ チョロQと壁の理論
  • ◆ 密なる時間を送るべし

◆ 最初が肝心

何事も最初が肝心だ。新入社員には入社早々、きっちりと筋の通った話を出来るかどうかが、勝負の別れ目になる。

本人が納得出来る話が出来ればそれでよし。もし、初っ端から社会人というのも、大したことはない、と緊張が緩んでしまうようなことにでもなれば、後々にまで尾を引いてしまう。朝の挨拶から始まって、社会人としての心構え、さらには動機づけまで基本的なことはすべて総括的に話しておくのがよい。

これはいわゆる先制パンチである。本人の置かれた立場が、学生時代とは全く違うのだ、ということを自覚させるのが目的なのである。

また、この時もっとも大切なことは、熱い語りかけである。上から見下ろすのではなく、彼らと同じ所にまで降りていき激励するのである。目の高さをそろえ、同じ皮膚の温度に合わせることである。

教育とは、元来相手の置かれている状況、考え方を理解した上で、考える側の要望と相手の気持ちの接点を見つけながら、徐々に教える側の意図する方向に導いてゆく作業そのものであると言える。

だから、じっくりと膝を突き合わせた個人面談も必要であろう。

生い立ち、育った環境、価値観、人生観、影響を受けた人物や出来事、入社に至るまでの経緯など、各人の思考パターンを完全に知悉することだ。それがないことには、これ以上先に進めない。

「社会人として自覚を持ち、精一杯頑張りなさい」式の無個性・曖昧模糊とした指示に陥らないためにも、早い段階から新入社員一人一人のキャラクターを掴んでおくことが必要である。

これらを一つのフレーズで表すと、

「最初は眠っているやる気を覚醒させるために、まずジャブを放ち、目覚めたところで、それぞれの個性の発露を導き出す」

となる。詳しくはこれから始まる、本文を御覧じろ。

◆ まずは、正しいおはようございます

新入社員には、新入社員特有の挨拶の仕方がある。子供でもあるまいに、と思われるかもしれないが、これがなかなか難しい。私は毎年、おはようございますという挨拶から、新人教育を始めることにしているくらいである。

私の教育はいつも問答形式で始める。一方的に話すのではなく、メンバーのほうから回答が出るように心掛けている。

「さて、みなさん。・・・・・・正しいおはようございますという挨拶の仕方を知っていますか?」

すると、大抵は「明るく元気な声で」と言う答えが返ってくる。毎年、同じ事を聞いていると、中には、「目を見てニッコリ」という可愛らしいものもある。日常の社会生活を送る上では、このような答えでも何ら支障はなく、正解といってもいいのかもしれない。

しかし、コト社会人一年生にとっては、これだけでは、はなはだ不完全、本質的な理解を欠いていると言わざるを得ないのである。

正しい、「おはようございます」という挨拶は、誰よりも先に出社し、心と身体の準備万端で、諸先輩をお迎えしてこそ出来るのである。諸先輩全員がスタンバイしている八時五十五分の始業直前にのこのこ入っていって、明るく元気な声が出る訳も無い。中には「出せます」という者がいるにはいるかもしれない。しかし、こういう厚顔無恥は例外として、普通の神経だったら出ないだろう。

こういう話をした後のことだ。

当社のある拠点に、今年入った10代の女性社員が、毎朝七時三十分頃に出勤してくるようになった。遅い日でも七時四〇分には席に着いている。タイムカードを見てびっくりである。もちろん、夜勤明けではない。

夜、一時間や二時間残業するのはよくある話だ。だが、朝一時間以上早くなんて、大変なことである。この一人の女性スタッフの出社が早いことだけでも、どれほどその拠点が活性化されるか想像に難くない。

社会経験に乏しかろうが、業務知識が少なかろうが、こうした行動をとってもらえれば、半端な管理職からの百遍の訓示よりも、まわりの学習効果は高いのである。

先輩諸氏も、後輩がこれほどにまで真剣に取り組む姿を目の当たりにしては、自然と自らの襟を正す思いで、気持ちも引き締まる。

ちょうど中学、高校の野球部の新入部員達が、外野手の守っているそのまた後で、ボール拾いをしながら、「ファイト‐」「ファイト‐」と声を出し続け、練習を盛り上げているのと同じ意味がある。

もし、正しいおはようございますの説明と、本人の納得なしに、女性社員にもっと朝早く出社しなさいと命じてみても、相手にもされないどころか、本人がやらされ感を抱き、負担に感じてしまえば、さっさと会社を辞めてしまわれることにもなりかねない。逆に、正しいおはようございますの意義の説明と説得が出来、本人の自発的行動(早く出社すること)を引き出すことが出来るようであれば、半分以上、管理職合格といえるであろう。正しいおはようございますは、新人社員の基本であり組織活性の原点でもある。

◆ 仕事には(1)業務と(2)職務がある

新人社員に対する次なる問答は「会社へ何をしに来るか?」である。

「遊びにきています」と答える新人社員はまずいない。どんな出来の悪い新人でも、「仕事をしに来ています」と言い切るはずだ。

そこで、私はその後、彼らにさらに問い掛けることにしている。「キミの言う仕事の指す範囲とはいったい何なんだい?」と。

経理の人間だったら「帳簿をつけることです」、営業担当なら「得意先回りです」、技術担当なら、「設計図を書いたり、製品開発をすることです」。また、受付嬢だったら「お客様をご案内することです」という答えが必ず返ってくる。

確かにこれは正しいし、否定しようがない。しかし、それだけでは足りないのだ。

私は仕事には(1)業務と(2)職務があると思っている。

敢えて言えば、(1)業務と(2)職務の二つをもって、本来の仕事と言えるのである。(1)業務とは経理、営業、技術、受付など、配属された各職種ごとに異なる役割を指す。つまり、経理なら帳簿をつけること、営業なら得意先回り。

一方、(2)職務とは職種の違いに拘わらず、その会社、その組織に属している構成員が全員共通して担う役割と訳したい。

例えば、「もっと働き易い職場をつくろう」「もっとお客様に喜ばれる企業にしよう」「もっと生産性を上げ、収益力の高い会社にしよう」「経営に対して、もっと積極的に提案活動をしよう」「後輩を指導・育成しよう」「忙しい人、困っている人がいれば、助けよう」等々である。

そして、(1)業務にプラスして(2)職務までも出来るようになった時、初めて「私は仕事をちゃんとしている」と胸を張って言えるのである。

しかし、入社当初の新入社員は、担当の(1)業務を覚えるだけで精一杯であり、とても(2)職務の領域の仕事にまで手がまわらないのである。要するに、仕事の内訳は(1)業務のみで、ほぼ100%で、右往左往しているのである。この段階では日々の(1)業務にいそしんで、もっともっと自らの(1)業務に精通してもらいたいのである。そして、徐々に会社にも専属先にも慣れて来て、少しずつ意識の面だけでも、(2)職務の方に向いて来る。

つまり、仕事の中に占める(1)業務と(2)職務の比率が、ようやく100%対0%から、90%対10%くらいになってくる。

先々、新入社員も、主任、係長、課長、部長と昇進してゆくにつれ、その課程において、仕事に占める、(1)業務と(2)職務の比率が、次第に逆転してゆくのである。

社長や重役ともなれば、(2)職務そのものが仕事となるのである。まさに社長や重役にとっての定形の(1)業務というものは決まっておらず、仕事に占める(1)業務と(2)職務の割合が、100%(2)職務となってしまうのである。要は、自分の担当する(1)業務を全うした上で、プラスアルファとして、どれだけ(2)職務に相当する仕事を遂行することが出来るかが、企業内における、昇進の最大の基準と考えて差し支えない。

だとすれば、新入社員は、担当する(1)業務を身に付けることに加え、いかに短時間のうちに(1)業務を仕上げ、片付けてしまうかということが、重要になってくる。でなければ、就業時間という自分の持ち時間は、すべて(1)業務で占拠され、一日に他人の倍の時間働かない限りは、とても(2)職務をこなすことなど、出来はしないのである。企業側から見ても、ルーティンワークである(1)業務を、集中的に短時間でやり終えて、後はどちらかと言うとブレインワークである(2)職務にさくための時間を捻出してもらいたいと考えているのである。

しかし、新入社員にとっては取っ付きにくい(2)職務に類する仕事の中でも、とりわけ会社の運動会当日の設営や花見の際の陣取りなら、今すぐにでも出来るはずである。なかには、そんな行事のためにオフビジネスの時間まで拘束される覚えはないなどと、戯けたことを言う新人社員もいるが、社内の行事は、従業員相互の共通体験を通して一体感を醸成するための大切な催しである。

まして、慰安旅行に来ないなどというのは、もっての外。本来、新人こそ幹事さんのもとで下働きを買って出るべきなのである。

旅館に着いてビールの数を数えたり、下足番として宴会場のスリッパを並べたりと、気が付けばすぐにでも出来る(2)職務は、山ほどある。ところが、残念ながら、入社して間もない新入社員は、企業という組織を自分達の学生時代のクラブ活動やサークルにおける組織の残像とダブらせて、勘違いしてしまうことが多い。

学生時代のサークルでは、利益共同体(ゲゼルシャフト)的な接触の仕方でも、身の置き方でも、何ら支障はなかった。しかし、企業の組織、しかも日本の企業では、現在も運命共同体(ゲマインシャフト)的色彩が色濃く残っており、新入社員自身が、学生時代からの組織というものに対する接し方、発想をがらりと一変する必要があろう。自分に合った会社など、全国探し歩いても一社もあるまい。重要なのは、会社に自分を合わせる努力をすることなのである。そこが、運命共同体であればこそ、入社時点より、(2)職務が重視されると考えれば、理解に苦しまないですむ。入社早々、納得感のある説明さえちゃんとしてあげれば、まだまだ柔軟な新入社員の頭や意識を切り換えてあげることは、充分可能である。

そのためには、入社と同時に(2)職務も重要な仕事であることを理解させてあげることだ。入社時点での導入教育さえしっかりやっていれば、彼らが引きずっている学生時代の行動様式を変えることはそれほど難しくない。

現に学生は朝の10時、11時に起床という生活を繰り返してるはずだが、社会人になったら始業の時刻に遅れないよう起きるではないか。社会人にとって時間厳守は必要最低限のルールであるということを誰からとはなしに、伝え聞いて、理解して、知っているからである。

こと、時間に関する観念が変えられるのなら、他のことであっても変えられる。会社は利益共同体ではなく、一つの運命共同体なのである。(1)業務と(2)職務というテーマを通して、しっかりとそのことを教え込むのである。

もう一度繰り返そう。会社でする仕事の概念は、(1)業務と(2)職務の二つの仕事を包括しているのである。すなわち、(1)業務とは、経理や営業、技術、受付等、担当する各職種ごとに異なる役割をさす。(2)職務とは、職種の違いに拘わらず、その組織に属する人間全員が共通して担う役割をさす。この二つの仕事をするために会社に来るのである。

◆ 窓際族を決めるのは誰か?

ひと頃、新聞を開くと頻繁に窓際族という言葉が登場していた。その時私は、いったい誰が窓際族を決めるのか、ということを考えたものだ。

窓際族を決めるのは、上司でも会社の人事部でも、会社のトップでもない。そんな烙印を押して、大切な従業員のやる気をそごうとは、よもや思ってもいまい。逆に頑張ってほしいと願っているはずだ。

ところが会社の中では窓際族が必ず生まれてしまう。なぜか・・・・・・?

後輩が見て、

「あの先輩に質問しても仕方ない」

「あの人に尋ねても始まらない」

「何を聞いてもまっとうな答など返ってこない」

と思われた瞬間、窓際族が生まれるのだ。

会社の上司は、決裁権や人事権は持っていても、目下の人間を悪しざまに言うことは少ない。何か良からぬ評判をたてるのは、いつも自分よりも目下の若い人間なのだ。

彼らの赤ちょうちんや縄のれんでの「情報交換会」で、一旦俎上に登ってしまえば、もはや、一巻の終わりである。「あの人は窓際族だ」という決定権を持っているのは後輩なのである。

窓際族とは、やる気の萎えた中年以降のオジサンと定めるのは誤りなのである。

だから私は、

「窓際族に年齢は関係ない。キミはまだ新人で、今はいいけど、来年新入社員を迎えて先輩と見られるようになった瞬間に、窓際族に成り下がる危険性を孕んでいる。今年一年、後輩が入ってくる来年の四月一日までが最初の勝負なのだよ」

と新入社員たちに口を酸っぱくして説明する。

新人たちが仕事上の質問や判断に迷うことに出くわせば、直属の上司にも相談するかもしれないが、やはり入社後二、三年目で同世代の人間の方が話し掛けやすい。新入社員は歳の近い先輩に相談をもちかけるのが常である。

この時、「このようにすればいいんだよ」というふうに適切なアドバイスができれば強い信頼が得られる。

ところが、「そうだね」「大変だね」くらいなことしか言えなければ、誰も先輩として認めてはくれないのである。後輩たちは、その同じ質問や疑問を再度別の先輩のところへ尋ねに行かなければならないのである。そうならないためには、入社一年目であらゆるケースに挑戦することが大切だ。

最低限、新入社員が一年目で遭遇するであろうひと通りの課題には、自らが一年間の新人時代に体験し終え、乗り越えて、二年目としての解答を準備した上で、一年生コースを終了しておかねばならないのだ。このように考えれば、新入社員はまだヒヨッ子だから、もうしばらくは「執行猶予だ」などと、やらねばならぬこと、体得せねばならぬことを先送りにすることほど、間の抜けたことはあるまい。

要するに、学生時代の学問の対象となる理論の世界とは違って、われわれの活動する実社会に於いては、体験していないこと、およびやったことのないことを教えることは、基本的に出来ないのだと考えた方がよい。

だから、新入社員の一年間は、時間的にも、肉体的にも、精神的にも、大変であることは、言うまでもない。しかし、モラトリアムを決め込もうにも、たった一年間しか猶予はない。その時間がない中で、たとえ通一遍であっても、ひととおりの新人カリキュラムを集約的に体得しておかないと、悲しいかな、後輩に教えることなど、よもや出来るはずもない。窓際の方へゆくか、部屋の中心部の方へゆくかは、二年目で決まってしまうのである。

北アルプス山頂付近の分水嶺に降り落ちた一滴の雨水が、太平洋側へと流れ出すか、はたまた日本海側へと流れゆくかは、ほんの一刹那にして決まってしまうようなものである。その決定に関する唯一の指標が、後輩に教えることが出来るか否かの一点にかかっていると言っても過言ではない。

集約的に体験して後輩に教えることが出来れば、ビジネスライフの未来は明るい。

仮に、組織の構成員全員が、入社後一年以上経過したら、トータルに後輩に指導出来るような成長を遂るならば、地球上から天然痘が絶滅したように、日本の会社から窓際族はいなくなるのではなかろうか。

また、入社二年目以降の従業員にとって、最も大切な(2)職務は、後輩を指導・教育することであると同時に、その力量を身につけておくことであると言える。

◆ リーダーシップとペーペーシップ

入社四~五年経って、組織の中堅どころに近づいてくると、会社からは「君にもそろそろリーダーシップを発揮してほしい」と注文がついてくる。

一般的に、リーダーシップとは、組織をまとめて引っ張っていくということであろう。しかし、いきなりこう言われても、どうやっていいのかわからないし、どう振る舞えばよいのか、当惑するであろう。

私は新入社員たちに、

「少し酷なようだけれど、この時になって気づいたのではもう遅いんだよ」と言っている。この時になって焦ってみても、空回りしてしまうのがオチである。やはり、ここでも新入社員の時からの蓄積がものをいうのだ。私はこの蓄積そのものをフォロワーシップ(followership)、すなわち私流に名づけてペーぺーシップを呼んでいる。

ビジネスの世界では三〇代、四〇代が勝負だ、とよく言われる。三〇代でリーダーシップをまっとうに発揮しようと思えば、入社一年~五年目ぐらいのうちに基本を身につけておかなければどうしようもない。

ここでいう基本とは、社会や組織の大きな三角形の一番底辺に位置して、そこで仕事する立場の人間の気持ちおよび、目上の上司や先輩から指示・命令され、使われる側の人間が感じる心の痛みと言えるものである。

二四時間体制で、自ら進んで新人らしく、仕事の中身を選り好みをせず、どんな雑務でも、たとえアゴで指示されるようなことがあろうとも、一心不乱に、かつての「丁稚」と変わらない動きを重ねておくことが肝要なのである。その過程において得られることおよび行動そのものが、とりも直さずペーぺーシップ(=フォロワーシップ)なのである。

例えば、無理難題を言いつける先輩もいるであろうし、単に曖昧な指示だけで命じる者もいるであろうし、言ってることはもっともなことであっても、上司自身の心の温かさが感じられないというような場合等々、これらに、出来る限り数多く遭遇することである。そして近い将来、逆に今度は自分が上司や先輩という立場になった時には、今までのいくつかの体験を反面教師として、その逆を行うことにより、かなりの面でリーダーシップを発揮することが出来るのである。

ただし、「丁稚」的な動きを自ら進んで、喜んでやるくらいの気持ちで真剣に取り組んで来なくては、ネガティブな体験を受けたとしても、自らが上司となった際に、それをポジフィルムとして反転して活用する器用なことは出来ないのである。

要するに、入社数年間で名実共に「丁稚」として体得するフォロワーシップ、すなわちペーパーシップの実体験の蓄積こそが、正しいリーダーシップを発揮するための唯一のトレーニング方法なのである。

さらに、入社後しばらくの期間は、仕事を(1)業務と(2)職務という二つの概念で分けた場合、誰しも(1)業務を覚えることのみに忙殺されて、(2)職務の分野までとても手が回らないし、意識もそちらにまでゆかない。だとすれば、(1)業務をこなすことに自分自身の九五%の意識と時間をとられてしまう新入社員は、ほとんど(2)職務をしないまま過してしまうことになってしまう。しかし、これでは困るのだ。

新人がゆえに、(1)業務の面にのみ追いまくられている段階でも、確実にこなすことが出来る(2)職務が、ペーぺーシップの励行と言えるのである。かみくだいて言えば、もっと生産性の上がる職場をつくることや、経営に対して活発に提案活動を行うことや、後輩の指導・育成などの(2)職務は、新入社員はどのようにあがいてみても、すぐには出来ないのである。だから、日々、ペーぺーシップを体現すべく、常に腰が軽く使い走りのような雑用をも頼まれやすくなることや、諸先輩からのアドバイスに対しては素直に受け入れ、教えられ上手になることや、先輩を質問攻めにして困らせるくらいのことを望むのである。

ぺーぺーシップの実体験に裏づけられた自信、その中で気付いた反面教師にあたる点を顧みれば、否が応でも、近い将来に、本真物のリーダーシップを発揮できるレベルにまで達していることであろう。

普通であれば、もうしばらくは学生時代の延長として、ディスコへ行ったり、合コンをしたりと遊びたい盛りである。しかし、ここでその気持を抑え、実力のストックをつくっておけば、三〇代、四〇代の一番大事なときに利息となってそれが返ってくるのである。

私は学生時代テニスをしていた。

先輩達は練習の始まる五分前にやってくるが、ペーぺーの新人は練習の始まる一時間以上前にコートに来て、ブラシを掛けて、ラインを掃いて、素振りをして待っていたものだ。

たまに先輩が早くやって来て、おまけに機嫌でもよいと、声を掛けてくれる。

「松井、やる気があるじゃないか、ちょっと教えてやろう、サーブでも打って見ろ」ということになるのだ。こういう時こそ、普段の練習メニューだけでは、なかなか見てもらえない貴重なアドバイスが得られるものである。ペーぺーシップを励行してさえいれば、このようにいい事も巡ってくる。そこでもっと親密になり、ペーぺーはこうして力を付け、はい上がってゆくものだ。

また、自分が上級生になった時には、この関係を逆転すればいい。

「君は熱心で見どころあるじゃないか、ちょっとやってごらん」というふうに声を掛け、後輩の面倒をみてあげるのだ。リーダーとなった暁には、何気ないこの行為がビジネスの面でも、自然に身体から出てくることが大切なのである。

ペーペーシップとリーダーシップは、まさに一枚のコインの裏表なのである。

まず、入社したら腹をくくることである。高校でも大学でも在学中は最上級生であったが、今度は一番下なのだ。

「朝、誰よりも早く来る」

「大掃除があったら一生懸命やる」

「レイアウト移動では重たい荷物を率先して持つ」

「慰安旅行では、幹事さんのもとで下働きをする」

このようなペーぺーシップの体得なら、新人でも出来る。いや、新人だからこそやらねばならない一番大事な(2)職務である。こうしたペーぺーシップを進んでやることが近い将来に、リーダーシップとして必ず生きてくるのである。

◆ 男のハイは死んでもハイ

新入社員も、しばらくすると人並みに仕事を頼まれるようになる。加えて、功をあせるあまり、どのような仕事を依頼されても、頼まれたことが嬉しく、ついつい安易にOKして引き受けてしまうことになる。中には指示が不明確な場合もあろうし、また納期が性急すぎて、納期までに仕上げるのがハナから無理な場合もある。また指示された仕事の内容そのものが納得出来ない場合もあろう。

このような時、どういった対処をするかが見逃されがちではあるが、重要なのである。

受けた指示に納得できない場合はもちろん、指示な不明確な場合もその場で遠慮せず、たとえ相手が上司であろうが先輩であろうが、徹底的に熱い議論を重ねてもらいたいのである。別に喧嘩せよと言っているのではない。言葉さえ選んで、感情的にならなければ、問題ないのである。納得するまで、また指示の趣旨が本当に理解出来るまで意見の交換をしてもらいたいのである。つまり、前向きな熱いディベート(debate)たたかわせてもらいたいのである。その上で、仕事の中身も、意義も、納期も、自分の心の中で本当にすっきりとさせて、「ようしやるぞ!」と燃え上がる気持ちで着手してもらいたいのである。

でなければ、絶対に「はい」と、表面的な応答は慎むべきなのである。その代り、一旦「はい」と返事したからには、男のハイは死んでもハイ、なのである。つまり任された仕事は、どんな困難があろうとも全力を挙げて納期までに完遂させることが求められる。それが社会なのである。

また、事務所のフロアで、新人と先輩が口角泡を飛ばし合いながら、真剣に熱い議論をたたかわせている姿こそ、その職場の活性化にとっても絶好のカンフル剤となるのである。先輩や上司が、心のわだかまりから、いがみ合っているのは以ての外であるが、新入社員独特の一種の青臭さや、愚直さゆえのディベートなら、大いに歓迎といえよう。

まかされた時点では納得し、出来ると予想した仕事であっても、はやる気持ちが強過ぎることもあり、新入社員であるが故に、見込み違いをすることもあろうし、予測が甘い点もあろう。加えて不可抗力によって、納期が守れそうもない事態が起るかもしれない。そんな時、一途に男のハイは死んでもハイだと、身の丈を超えた痩我慢をして、いたずらに納期を遅らせてしまうことは賢明ではないのは明らかである。また、男のハイは死んでもハイだからと、本当に死んでもらっても困るのだ。

そこで、納期に関しては万が一遅れそうな可能性を察知したら、すぐさまためらわずに上司なり先輩なりに報告するのが筋であり、義務である。納期の手前であれば、遅れそうだと連絡が来ればそれなりの対応は可能であるし、また頼んだ方としても心の準備も出来るというものである。ただし、ゆめゆめ納期を過ぎてからやっぱり出来ませんでしたなどという言い訳をするなかれ。これは最悪の対応であるし、信用を失う最たる例であることは言うに及ばない。

引き受けるか、引き受けないかのスリ合せは、ハイと答える前に充分行なっておくのが筋である。とにかく、社会人として、一旦、引き受けたのならば、男のハイは、死んでもハイと肝に命じておくがよい。

◆ 軍隊行進から逃げる方法

突然時代錯誤に陥るような話になるが、仮に、自分自身が軍隊に入隊したとしよう。

そこでは一定期間は否が応でも、毎日炎天下で何時間も行進の練習をしなければならないことになっている。誰しも辛いこと、苦しいことからは逃れたいと思う気持ちは変わらない。ましてや、一糸乱れぬ隊列が整うまで、繰り返し繰り返し行われる訓練ならば、なおさらその感を強くするのが人情であろう。さて、それならばこのような行進の練習から合理的に逃げる方法、逃れる方法はあるのであろうか?

私が新入社員にこうした問い掛けをすると、いつものように、

「腹が痛いと仮病を使う」「その時間帯だけ本当にエスケープする」「トイレに隠れる」

などたわいもない答えが返ってくる。

ところが、ここでは合理的というのがミソなのだ。一度や二度、行進の練習をサボッたところで、また、その後は辛い辛い行進が待っている。下手をして、ズル休みをしたことがばれることにでもなれば、罰として余分にやらされる羽目になる。

毎年、何十、何百の新入社員に尋ねてみても、この問い掛けに対しては、最も答えに窮するようである。ほとんどこちらの求める答が返って来たためしがないのである。

たしかに腹が痛いと申し出るのも、兵舎の陰に隠れるのも、一つの方法ではあろうが、ここで言う合理的なという条件は満たしていないことはおわかりであろう。

私の考える正解を述べよう。

いやいや行進していても、渋々練習していても、結果的には真剣にやるのに比べ、もっと長い時間行進の練習をさせられることになってしまう。どのようにあがいてみても除隊しない限り、詰るところ行進の練習を回避することは出来ないのだと一刻も早く覚悟を決め、腹をくくってガンバリ抜くことしかないのである。そして、同じやるのならば誰よりも一生懸命努力し、一番上手に行進が出来るようになることが、合理的解決策なのである。だから結局やるしかないのである。

銀行でも、商社でも、証券会社でも、また一般企業においても、外回りの営業は辛いことも多い。まして、新入社員のペーペーは、固定したお客様を担当することは少ないから、なおさらであろう。私は、新入社員が多少元気をなくした顔をしている時、こんな話をする。

◆ 恩返しの力学にあやかろう

インプット、つまり勉強する方法には、活字からと他人様の話を聴かせてもらうことの二つがある。ここでは、他人様の話からインプットすることについて少し突っ込んで述べてみたい。

人間誰しも、自分ひとりの知識や短い人生での経験など、たかが知れているということには、異論はなかろう。だから、自分とは違った体験や人生の先達としての蓄積を拝借し、自らの浅学の一助とすることは大変に有意義なことである。ところが、自分がいくら他人様の話を聴かせてもらうことによって成長したいと請い願っても、これも相手のあることであり、自分ひとりだけの都合ではどうにもならない。つまり、人生の大先輩の目から見て、「君ならば教えてやろう!」と映るにふさわしい真摯な姿勢で、仕事のみならず自らの人生と取り組んでいることが最低条件であろう。そして運良く、ことあるごとに指南役を買って出てやろうとおっしゃる先輩に、ひとりでもめぐり逢うことができれば、ラッキーである。

先々にわたり、自らの「人生の師」と呼ばせて頂くにふさわしい関係を何人の先輩との間で創りあげてゆくことが出来るかが、長い人生を歩んでゆく上で大変重要な糧となる。芸術や文学で言うところの私淑ではなくて、直接忌憚のない苦言や直言を賜る人間関係を持つことは、人生における於る何物にも優る至宝なのである。

若さの勢い故に、どのような人の懐にも、無遠慮に飛び込んでも下心さえなければ許されるのが二〇代かせいぜい三〇代までであろう。

それ以上の年齢になると、自分でも自己規制が働いたり、先方にも無用の警戒心が生まれるため、人生の師の胸襟は、駆け出しの二〇代のペーペーにこそ開かれているのである。

だから、新入社員は二〇代の間に、何人の「人生の師」と呼ばせて頂けるにふさわしい先輩との出会いを持てるかどうか、これは、ひとつの真剣勝負のバロメーターなのである。

入社して間のない新人や若いビジネスマンを育てる上で、最も重要でかつ最も早く教えてあげなければならないことは、自分の人生、自らのビジネスライフと真剣勝負で取り組むのだという覚悟と姿勢を植え付けることである。

要するに「人生と真剣に勝負するぞ!教」の洗礼を受けた信者になってもらうことである。そして、どのような職種、どのような持ち場が与えられても、常にそこで一〇〇%完全燃焼し、真正面から仕事と相対峙してさえいれば、必ず道は自ら開かれるのだという確信を持てるまで、根気よく語り続けてあげることである。

別段私は、宗教家めいたことを申し上げる気など毛頭ない。入社してしばらくの間でも、脇目も振らずひたすら没頭していれば、当然その努力の結果として技量も向上するし、仕事の力もつく。加えて、「人生は人との出会いだ」などと言い古された言葉があるように

、必ずやそのように、ひたむきに真剣勝負を続けているならば、誰かの目に留まるというものである。社内外を問わず、人は必ず見ていてくれるということは、今も昔も変わらない。

今日において成功したり、功成り名を遂げた人はもちろん、いわゆるそれなりの立場にある人は誰しも、現在の自分があるのは自分ひとりの努力と精進だけでここまで辿り着いたなどと自惚れ、慢心した考え方を持つ人は恐らく一人もおられまい。自分の恩師、先輩、上司、お取引先、両親等々のいわゆる先達、恩人からの有形無形の指導や薫陶の賜物だという感謝の念を脈々と持ち続けておられるはずである。

しかし、そのような恩返しの気持ちはあっても、お世話して下さった方々は、すでにこの世におられなかったり、また本人に恩返しのつもりで菓子折などを持って御礼の挨拶に行こうにも一笑に付されるに違いない。だから、その恩返しの気持ちは、自らの残りの人生での人との出会いの中で、これはと思う見どころのある若い衆に対して、逆に今度は自分が手を貸してやろう、バックアップしてやろうという行いを通して、世の中に還元なさることになるのである。

もし、「人生と真剣勝負するぞ!教」の入信者が何かの偶然で自分の眼前に現れたなら、「見どころがある。よし、気に入った!」ということで援助を頂いたり、何かの折には引き上げて重用してもらえることもあろう。この「引き上げてやろう」という力学が、目には見えないけれども、世の中あちこちに存在することに早く気が付き、自らの努力と真剣勝負の毎日に加えて、その力学にも後押ししてもらった者こそが、人生において覇者となり、大成するというものであろう。

この力学、この上へ引き上げてやろうという流れに、入社間もないガムシャラに突進している熱い熱い期間に、何かの拍子にちょっとでも触れ、その醍醐味を少しでも味わうことが出来、有り難い宝物であると気づいたら、以後、その本人は、この本に書いてある教育うんぬんは全く無用となり、卒業なのである。

ところがである。自分自身も、その有り難いまるで魔法のような上昇気流に乗っかってみたいと一方的に望んでみても、そうは問屋が卸さないのである。日々、ただ漠然と、ほどほどに、ありきたりの、ぼちぼちの取り組み姿勢であっては、何しろ相手があることであり、その目にも留まらぬであろうし、ましてや一流の眼鏡になぞかなうわけがない。つまり、引き上げてもらうにしても、引き上げるに足りぬと感じるにしても、すべて相手が決めるということにおいて、この面でもなんと市場原理が働いているのである。

要するに、本人の姿勢が本物でさえあればそれだけで充分で、下手な小細工や見せかけなど、全く不要なのである。

自ら志願して、「人生と真剣に勝負するぞ!教」に入信し、その洗礼を受けて、その信者としての戒律どおり(毎日仕事と真剣に取り組みつづけること)行動することを教えたいものである。如何であろうか

◆ チョロQと壁の理論

新入社員がビジネスマンとして、仕事を進める上で成長するとは、具体的にどういうことを指すのであろうか?私はこのように考えるのである。

従来から、自分なりに正しいと思っている、または思い込んでいる物の見方、行動様式、まわりへの接し方を次々と変えてゆく、そのプロセスこそがつまり成長ということではないだろうか。

じゃあ、どうすれば自分なりに良いと思い込んでいるそのような物の見方、考え方をステップアップする方向に変えて、成長していくことが出来るのであろうか

誰しも、素直に、謙虚にかつ柔軟に、先輩やまわりの意見を聞いて取り入れ、すぐに実行すればよいのだろうという大まかな予想はつく。

しかし、性格的に素直で、謙虚で、柔軟であることだけで、新人が成長するなどとは、私には到底思えないのである。

もちろん、このことは必要条件ではあるが、決して十分条件ではあり得ない。

そうしたら、一体何が新人の成長にとっての十分条件なのか?私はここでの十分条件として、「チョロQと壁の理論」を提唱したいのである。

チョロQとは、大人の皆さんには馴染みが少ないかもしれないが、ある大手玩具メーカーがひと昔前に開発した、長さ5~6センチの発条を内蔵したミニチュアカーなのである。

車輪を床に密着させて20~30センチも後退させると、自動的に発条が巻かれ、手を離すと、途端に猛スピードで何メートルも突っ走ってゆき、壁にぶつかっても、そのあり余る勢いのために、すぐさま右や左に方向を変えて、またしても何メートルも突っ走ってゆくという、大人にとっても楽しい優れものである。

われわれ管理職は、新入社員が、仕事に取りかかる際「全力で体当たりで取り組みなさい」というお互いに聞き慣れたアドバイスをしばしば口にする。ところが、この何ら変哲のないひとことのアドバイスの中に、「本質」が含まれているのである。

つまり、自らの力を100%出し切って、仕事にぶつかっている者は、しばらく体当たりを続けても、うまくゆかなかったり突破口が見つからなかった場合には、すぐさま自らの物の見方、考え方、行動様式を変える糸口が見つかるものなのである。

逆に、半身の構えで、持てる力の七割や八割がたの力しか出さずして取り組んでいたのでは、根本的にパワー全開でないということを本人自身が一番わかっているものだから、もうひと押し、もうふた押し足りないのではなかろうかと考えるようになり、結局、いつまでも中途半端な煮え切らない形で、いたずらに押し続け、時間のみ過ぎ去ってしまうのである。つまり100%力を出し切っていないという自覚症状がある間は、結果的にパワー不足ではなかろうかという不安心理が邪魔をして、物の見方や行動様式を一気に変えることにより、突破口を見つけるという「気づき」はやって来ないのである。

ほどほどにやっている当事者には、自覚症状のある当事者ゆえに、逆に「押してもだめなら引いてみな」ということに気がつかないのである。押し足りないという自覚そのものが障害となって、いつまでも引くこと(物の見方を変えたり、行動様式を変えること)に気づかず、そのまま押し続けることになり、徒労に終わってしまい、何物にも代え難い貴重な時間の浪費となる。

ところが、自他共に認めるほど100%力を出し切り、一定期間体当たりを続けていたら、当然体力的にも精神的にも"息切れ"を起こす。この息切れこそが、単に体を使うのではなく、また一元的な物の見方に固執するのではなく、頭を切り替えて「知恵を使え」という天の啓示なのである。

要するに、「もうダメだ」というところまで、まず肉体的な面で仕事を極めた者のみが気付き、体得することが出来るのが、工夫の二文字なのである。社会人なら、一生懸命働くこと(hard work)は当たり前で、新入社員の頃は、多少肉体的には、オーバーワーク(over work)となるくらいまで一度はやってみないことには、このことがわかったという境地には至らないのかもしれない。

加えて、若い時しか、このような100%肉体完全燃焼方式は採用できないのである。まさに、若いビジネスマンよ、性能の良いチョロQたれ!である。

◆ 密なる時間を送るべし

新入社員にとって、時間という観点で大切なことは二つある。一つは、言わずと知れた、約束の時間を守るということである。もう一つは、常に密なる過ごし方をし、決して時間を無駄にしないということである。これは、頭では理解できていても、簡単なようで知行合一となると、なかなか至難の業である。

社会に出て、企業人となった瞬間から、新入社員は以前の学生時代とは比べものにならないくらい、事ある毎にあわただしいと感じる時間を送ることになる。

常にばたばたと忙しくしていることが良いことだとは言わない。しかし、企業には全て決算がある。学生の通知表にあたるのが企業の決算書である。周知のとおり、これは、各企業が決算日から、次の決算日までの一定の期間、どれだけ多くの生産活動を行ったかを表わしたものである。だから、企業はすべからく、より良い決算を目指して、日夜、励むのである。政府の財源の点から見ても法人税は大きな柱となっており、現国家体制においても、より良い決算を目指すことを企業は、求められているのである。

工場の製造ラインの設備では、一分間に一〇個の製品を生産する機械よりも、一一個、一二個の製品をつくる機械の方が効率がよいと考えられている。

われわれ人間を機械に喩える気はないが、一日に一〇〇枚の伝票を処理する経理マンよりも、一日に二〇〇枚処理してくれる経理マンの方がありがたい。同じように、一日に一〇件の商談をする営業担当よりも二〇件の商談をこなせる営業担当の方が頼りになるのは当然であろう。つまり、二〇〇枚の伝票を処理する優秀な経理マンも、一日二〇件の商談をこなせる出来る営業マンも、それぞれ一〇〇枚や一〇件の人と比べて、当人はよりあわただしいと感じているに違いない。段取りが悪くて、単にドタバタ忙しくするのではなく、きちんと計画を立てたうえで、結果的にあわただしくフル回転することは、大歓迎である。

もともと、企業活動はより高い効率を求める経済活動そのものと言えるのである。この経済活動全般を貫いている法則がすなわち、生産性原理なのである。

この生産性原理の色濃く反映する一般企業で、経済活動を繰り広げるビジネスマンは、機械ではないことは明らかではあるが、あまねく密度の濃いあわただしい時を送ることは避け難い、となかば割り切って考えた方がよい。

ただ、どうしても目まぐるしくあわただしい中で、密なる時間をこなしてゆくのはまっぴら御免という向きには、生産性原理とは縁遠い、経済活動とは別の悠久の時の流れの支配する分野の活動に就かざるを得ない。

たとえば、宗教活動であったり、芸術活動であったり、思想活動であったり、研究活動であったり、ボランティア活動等々であったり、と言えよう。

しかしこれらの活動とて、一般企業の経済活動に比べれば、じっくり型のものではあろうが、一定の時間の制約なしに出来るものは何一つなかろう。

逆に芸術活動などは、突き詰めようとしても、際限がないくらい奥深く、有限の生を受けた人間が挑めばこそ、「芸術は長く人生は短い」という言葉のように、板ばさみにもなろう。

マクロに眺めれば、資本主義国家における全ての仕事は、時間の点でいえば、詰まるところ決算日から翌決算日までの一定の期間内に、より高い生産活動を目指す経済活動と、少なからず共通する面を孕んでいるのである。

それならば、早くメリハリのある仕事の仕方を体得し、ONとOFFをうまく活用し、末永く経済活動と付き合っていく方法を身に付けることが、精神衛生上も得策である。目の前の「忙しさ」から逃げないことである。時間を守ること、および時間を密に使うこと、さしずめこの二つは、社会人なら避けて通れぬ定めなのである。

現に、各新入社員の家庭の台所でも、お湯を沸かしながらも、同時進行で目玉焼きも焼いておられるではないか。

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