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東大理学部修士、気候変動の研究経験を評価され、高炉メーカーからシンクタンクへ

東大理学部修士、気候変動の研究経験を評価され、高炉メーカーからシンクタンクへ

No.1450
  • 現職

    日系 名門シンクタンク リサーチ・コンサルティング部門 コンサルタント職

  • 前職

    東証プライム上場 大手鉄鋼メーカー 上工程工場の生産技術スタッフ

落合 直希 氏 27歳 / 男性

学歴:私立 男子校 普通科 卒
東京大学 理学部 卒
東京大学大学院 理学系研究科 修了
運動会(体育会)剣道部 卒部
TOEIC 940点
使用可能ツール:Python、Fortran

起 就職活動へ至る道のり

四半世紀ほどの自身の足跡を顧みるに、コンプレックスと憧れという表裏一体な感情が人生の動力源であった。
出身の私立高校にて剣道部で稽古に励んでいた時も、勉学に勤しんでいた時も、努力不足ゆえに第一志望に落ちて浪人させてもらい捲土重来を誓った時も、すべて自分よりも優秀な友人や周囲からの期待に対しての7割の劣等感、そして3割の “俺だってやってやる” の反骨心や優れた存在たちへの憧憬が自分の動力源となった。

一浪の後に第一志望に入り、かねてより考えていた大学での剣道ライフを充実させようと軽い気持ちでいたが、現実は色々違った。入部時に光栄にも補せられた幹部職として、部の行事運営や、部内はもちろんOB/OGをはじめとした対外的な調整などに混乱し、稽古への取り組みも幹部職としての仕事ぶりもすべてが中途半端になってしまった。
結局大事な場面で使ってもらえない鳴かず飛ばずな自分に気づいて、剣道部で活躍することに見切りをつけ、予備校時代にわずかに胸を躍らせた学問への取り組みを大切にしようと方向性を変えた。

学部後期にはアカデミックに傾倒しようと考え、自然のダイナミクスや環境問題に関心があったことから、理学部に進学し地球惑星科学を専攻することに決めた。
周囲からは「就職無理学部」などと揶揄されることもあったが、かえって自分にとってはアカデミックに地球の振る舞いを窮理すべしと反骨心で自身を鼓舞した。

進学後は、地球表層で自分たちを取り巻く大気海洋のダイナミクスを知りたいと考え、大気海洋科学を専攻した。
地球物理の分野である大気海洋科学の道へ、自身の所属コースから行くのはマイナーであり苦労した部分はあったが、研究室のメンバーや研究テーマなどにどんどんのめり込んでいって研究に邁進していった。

そして学部を卒業し、1か月半程度の短い間だったが研究留学をし、アカデミックの道で生きていきたいという思いが日に日に強くなっていった。
修士課程では、サイエンスの見地から気候変動の知見を深め、自分の知的好奇心を研究活動・学友たちとの議論を通じて満たしていくこと(で得られる自己満足感)に充足していたため、モラトリアム期間(3~5年)を謳歌しながら、気候変動のことを考え続けられる博士課程へ行くものだと信じて疑わずにいた。

しかし、アカデミアを目標とした人生設計は白紙になった。
新型コロナウィルスが世界的に猖獗を極め、大学はもちろん社会全体が大きな転換を余儀なくされた。
自分がやろうとしていた海外留学や国際学会での草の根活動(対外的な自分の売り込み)をすべて実現させられる見通しはつかなかった。
その時点で研究成果もまとまりきらず、理想のキャリアパスと現実のギャップに戸惑いながらも、どうしても二十歳半ばにして自活できていない自分に嫌気がさし、就職活動へシフトした。
当時親交のあった教員からのコメントに、「君は自分のことに責任を持てないことがつらいんだろうな」というものがあったが、なるほど正鵠を射ていたようで、社会人として労働の対価での給与で自分の欲求を満たす・納税など金銭面での自身の果たすべき義務を親に頼らず果たせるようになる、という事実にどこか救いを求めた部分もあった。

結局自分が学んだのは、「将来設計をガチガチに固めようとしても予期せぬ事態は必ず起こり、それに対して柔軟に対応することが大切」ということ、そして「 “これじゃないといけない” ものは存在しない」ということだ。
皮肉にも劣等感で見つけた場所も安住の地ではなく、潜在的な転換が存在した。
アカデミアに行っても教授やポスドク、秘書や技術支援員だってすべて職業の一つだし、アカデミアという象牙の塔に固執するのは、職業選択の一つとして考えるとナンセンスだと思った。
別に気候変動をやめたって何も変わりはしない、自分は死なず地球は自転も公転も続ける。
そのため、気候変動に代わる、少なくとも暫くは自分を魅了してやまないものを、アカデミアの外で見つける路線へと切り替えることにした。
ここでも、自分の劣等感が進路決定を迫ったのだ。

承 就職活動奮闘記

就活を始めるといっても、理系大学院生の就活は早い者だと修士1年目の夏には始まっているし、なんなら内定を持っていた者だっていたように思う。
方や「就職無理学部」と揶揄されるような分野を専攻し、就職活動のための情報収集(業界研究や自己分析)や勉強(TOEICやウェブテスト対策)はもちろん、インターンシップなどへの参加も全くしていなかったため、同期の就職メンバーの中では圧倒的な情報弱者として就活に臨んでいた。
遅れを取り戻そうにも、就職活動への決意を固めたのが修士1年目の12月末であったというのもあり、慌てて合同説明会などに参加しに行くというような体たらくであった。

その中で、鉄鋼メーカーグループの一翼を担うSIerの説明を聞き、そこに関心を持ち、同時にその親会社である某社のことを考え出した。
どちらもOBが在籍していることから、まずは情報収集をと思い相談をさせてもらった。
といっても、就活そのものの相談をさせてもらうくらいの軽い気持ちで臨んだら、あれよあれよと誘導されて気づけばSIerと鉄鋼メーカーの2社に応募している状態になっていた。

とはいえ、それぞれ魅力を感じていたのは事実であった。
SIerはIT業界にあって大規模なシステム構築の提案や開発に携われる意味で、やりがいも今後の事業成長も見込まれることから、業界的に外れはないだろうと考えた。
他方、鉄鋼メーカーはその真逆だ。
「鉄は国家なり」という言葉にもあるように、一時期は世界各国の基盤産業とみなされた日々もあったのだろうが、今となっては斜陽産業の一つだと考えていた。

そんな中、なんとなしに参加した工場見学で製鐵における1プロセスを紹介された際に、化学反応の宝庫だがブラックボックスで十全な理解がなされていない、という説明を受けて興味をそそられた。
やはり理学部在籍のサイエンスの学徒の端くれとして、ブラックボックスと呼ばれるものの中味を解明したい、ひいては更なる理解がより優れた鉄づくりを可能にするのではないか、という素人なりの野心が芽生えた。

就職活動を決意したとはいえ、修士時代はやはり研究に邁進したいという思いが強かったことから、ほとんど視野を広げることなく上記の2社のみを受けるに留まった。
そして最終的には、この理学的な自分の知的好奇心が決め手となり、鉄鋼メーカーへ就職することになった。
振り返ると、新卒の時は、科学的な知見を用いて鉄づくりを極めたいという自身のサイエンスに対する期待と、そして面接などを通じて感じた人柄などで入社を決めたのだと思う。
大気海洋科学という鉄づくりと全く関係性のない分野の話を興味深く聞いてくれたり、様々な質問に誠意をもって返答してくれた社員の方々の温かさに惹かれたのも、一つの決め手となった。

転 ミスマッチ、そして将来への不安

鉄鋼メーカーに就職することが決まった後の最大の懸案事項は配属先だった。
もともと博士課程への進学を考えていた自分としては、研究開発部門で鉄づくりを学びながら、製鉄プロセスを解明したいと考えていた。
しかし、やはり大手だけあって学生時代に冶金学や素材研究に励んできたような同期も多く、加えて研究志望の同期も多かったことから、結果的には研究ではなく工場の生産技術スタッフとして勤めることとなった。
とはいえ、自分が就職活動時より興味があると言い続けた製鉄プロセスを扱う工場に配属され、しかも勤務地も自身の希望通りであったことから、かなりポジティブに職務に臨もうと思っていた。
自身の担当業務としては、工場付きのスタッフとして日々の操業解析や操業改善に向けた提案、また原燃料などの配合計画策定、そして研究開発課題の推進支援などだった。
期待されている業務を聞いた時点では、高度な技術力が要求され、プロセスの理論的な理解が必要とされるのだろうと思っていた。

しかし、実際に配属された職場は想像したようなものとは大きく異なっていた。
製鉄業に従事するエンジニアとして、自動化など華やかな技術に取り組んでいると聞いていたのだが、エクセルを安定的に運用することすらままならないようなパソコンで、ガラパゴスなデータベースからデータを取ってこないといけないという時代遅れ感。
製鉄現場において現物を通じたプロセス解明などを心がける者はほとんどおらず、ただ安定生産のための調整業務の連続。
カルチャーショックを受けた点を挙げれば枚挙にいとまがないが、仕事の時代遅れのスケール感が令和の今日にあって、平成にすら至らず昭和のレガシーであったことに愕然とした。

また、配属後の研修も何ら実務に直結するものではなく、例年やっているからと、工場での三交代や関連する工程での訪問研修などに従事させられたが、特に何かを学ぶこともないまま4か月を無為に過ごし、そして実務開始後いきなりあれはこれはと聞かれる状況に混乱してしまった。
無論、会社は学校ではないので主体的に学ぼうとする意識が欠如していたという反省はもちろんあるが、「人は財産」などとうそぶきながら人材育成がなされる仕組みも意識もない職場に不信感が募った。
入社決定の後押しとなった社員の人柄などは一部の素敵な方々に当てはまるだけで、全員がそうではないということに気づけなかったのだと自分であきれてしまった。

また、技術者として日々理論的な議論がされるのかと思ったら、多くの先輩や上司は経験則でものを語ったり、理論の一つも提示せずに実績としての数字を振りかざすことしかできない者が多かった点にも絶望した。
自分が目指したいと思った仕事の仕方やマインドを共有できる人が少ないことにショックを受けて、1年目の冬にはストレスを感じて不眠症になってしまい、抑うつ状態になってしまった。

無論、尊敬できる先輩や上司も一定数存在した。
製鉄プロセスへの知識や理解を惜しみなく享受させてくれたり、新人の些末な質問に手を止めて真剣に議論してくれる姿勢などは本当に嬉しかったし、そういった人たちに貢献したいと思って自分なりに製鉄プロセスへの理解や日々の業務に励んできた。
その中で、化学反応を踏まえた高炉操業の理解や、安定操業のための他部門との協働や調整能力などを身に付けることができた。
特に、工場の多数のオペレーターたちがいる中で、彼らの意見やコメントを聞きながら、試験や操業改善に向けて施策を提案し評価していくという一連のプロセスを経験したことは、人を巻き込んでいくという仕事のベースを体得することができたという意味で、意義のある経験であった。

しかし、仕事に慣れた段になっても自分の抱える不満は消えなかった。
最初は自分の(新人レベルゆえの)力量不足が障害になっているのかと思ったが、1年目が終わってある程度理解が進んだ段になっても現状に対しての課題感は消えなかった。
この段で自分が感じていた不満は、「技術者として活躍することが求められず、調整業務を淡々とこなすことが日々の仕事の大部分であること」、「大企業ゆえに自分で自由に決められる範囲が少なく、10年程度は経験を積まないと決定権を持てないこと」、そして何より「ガラパゴスな業界で経験を積んでも、自分の市場価値は何一つ上がらないということ」だ。
様々な不満を感じている中で、漠然と転職などを考えたこともあったが、調整業務がメインであり特別な解析技術の習得や生産技術の開発など自分のスキル向上が存在しない現状を鑑みて、転職する場合は早期に決断しないとどんどん苦しくなると焦る気持ちもあった。
特に、自分が職場で優秀な人材ではないという認識、そしてそれに端を発した劣等感が自分の現状に対して強い焦燥感を抱かせた。

そして2年目のタイミングで、製鉄所の存亡に関わる大問題が発生した。
自分の部門が直接的に関連していたこともあって、多少忙しい日々が続いた。
しかし、誰からも感謝されることもなく、なんの技術も身に付かないまま目先のトラブルシューティングや効果があるかもわからない調整業務に翻弄されている自分を顧みて、この会社で活躍している自分の姿は未来永劫存在しないと確信した。
特に、毎朝会社に行きたくないと思うのはまだしも、明日が来るから夜寝たくないと、仕事に対して何一つポジティブな感情を持てていない現状は不幸でしかないと思った。
1日の半分程度を捧げ、今後40年程度従事し続ける仕事は、朝起きて「よし、今日もがんばるぞ!」とポジティブな気持ちに自ずとなるものであってほしい。日々溜息と不満をこぼしながら、金のためだけに我慢しながら仕事をするのはつまらない。
仕事を楽しめない自分と決別すべく、転職活動に踏み切った。

今にして思えば、大した企業研究もせずにここでいいや、という精神で会社を選んだことが最大のミスにして諸悪の根源だと認識している。
適切な情報収集や、自分の嗜好とのマッチをしっかり探ることが就活では最も大切だったと反省した。
また、就職後の反省としては、自分でやりたかったことだけをやりたいようにできることはほぼないので、興味のないことも仕事と割り切ってやる、少しでも楽しめるように人を巻き込んだり、自分なりに少しでもアレンジしてみるなど、自分の仕事をマネジメントすることも大切だったという点だ。

結 本気の就活

主体的に取り組める仕事を見つけたいとは言うものの、転職活動は初めてだし何をしたらいいのかもわからないでいた。
そんな中で、一足先に転職をした会社同期が紹介してくれたのが、今回お世話になった(株)エリートネットワークさんだった。
しかも担当してくれた転職カウンセラーの久井さんは、奇しくも元は同じ会社に在籍しており寮も近くてニアミスしていたことなど、何かとご縁のある方であり、最初は興味ベースでお世話になることにした。

しかし、1回目の面談で1~2時間ほど自分の経歴や場面ごとの判断基準など様々な話を深掘り、自分の性格や志向などを踏まえて、知的好奇心が発揮できる職種であり自身の市場価値の向上に繋がる業種を紹介してくれた。
加えて、自分がワークアズライフとしてひたすら仕事に打ち込むというよりは、仕事のやりがいはありつつもワークライフバランスを両立できるような仕事を望んでいたという点も斟酌してくれた。
何より印象的であったのは、自分の学生時代の専攻であった気候変動や大気海洋科学の経験を、お世話になった高橋さん・久井さんが非常に評価してくれて、サステナビリティ関連の仕事など親和性が高い業界を紹介してくれたことだった。

2人との面談や相談などを経て、最終的に日系シンクタンクや大手企業のサステナビリティ推進分野に絞って申し込んでいくことにした。
書類の段階で学生時代の研究内容をA4用紙2枚分盛り込んだりと、自分のユニークネスを押し出そうと提案していただき、それが奏功して書類通過率は5割以上であった。そして企業と面接する段になっても、面接対策のスクリプトの作成アドバイスや添削など、細やかで丁寧なケアをしていただいた。
そうして面接に臨んでいく中で、会社のカルチャーや志願者である自分自身への向き合い方などが少しずつ企業ごとに異なることがうかがえた。

最終的には、会社の規模は今迄より小さいながらも少数精鋭のメンバーが集結しており、ポジティブにコメントやフィードバック、相談に乗ってくれた日本のシンクタンクから内定をもらうことができた。
久井さんや他の転職活動同期などに相談しても、会社としても非常に素晴らしい場所だし、何より誠意をもってこまめにフォローしてくれている状況からも自分を評価してくれているのだろう、というコメントをもらえた。
前職でなかなか努力しても手ごたえを感じられず、また感謝されることもない虚無感が、クライアントワークになって忙しいながらもやりがいがある業界に行けるということで高揚したものだ。

しかし、内定が出てから転職を決断するのは容易ではなかった。
というのも、前職では異動の辞令が出され、入社時に希望していた研究分野へ行けるようになっていたこと、そして未経験の業界でコンサルタントとして活躍できるかどうかが不安であり、挑戦することにナーバスになってしまっていた。
だが最終的には、業界を新たにし次なるキャリアを形成することにした。
前職で研究所に行っても、成長の機会があるとは限らないし、将来的にまた工場配属になって調整業務に従事して、結局同じ不満に直面する可能性があったこと。そして、未経験で怖いのはいつだってなんだって一緒だということ。将来のことが分からず不安であることは、挑戦しないことの理由にはならない。むしろ今つかんだチャンスを大切にしようと思って、転職することに決めた。

転職活動を通じて気づいたことは、新卒の就活とは異なるということだ。
新卒では一般的なロールモデルに自分を投影して、社名を知っている大手企業や有名企業に行くことを考えてしまう。
しかし、大手企業に必ずしもフィットできるとは限らない。その中での葛藤を踏まえて転職をするわけだが、この場合の転職では、自分の中で大切にしたいものとマッチした会社こそがベストオプションであり、そういった会社でこそ活躍の場が存在するのだろう。
転職活動の最初の段では大手に行こうと考えたりもしていたが、最終的には自分に興味を持ってくれた会社がどんどん魅力的に見えた。互いのニーズがマッチした会社が行くべきところなのだろう。

前職では苦労もしたが、反省すべき点も多くある。
仕事への取り組み方や人との関わり方などは反省すべき要素が沢山あった。特に自分の興味とかけ離れた業務への取り組みはお粗末なものだった。
だが、今後はクライアントワークになり、お客様のことを第一とした仕事が求められる。どんな仕事に対しても主体的に取り組み、自分で仕事を楽しくしていくという気概を持って取り組みたい。

シンクタンクにあってコンサルタントとして活躍できれば、ビジネス業界の方向性決定に参画できる可能性もあるだろう。
気候変動を学んだ自分が、脱炭素社会の構築にビジネスサイドで貢献できるように精進していきたいと思う。
何かとコンプレックスで後ろ向きな選択をしてきたが、この転職活動はポジティブな思いでチャレンジ精神のもとで選択した、自分にとってはある意味新卒以上に本気の就職活動となった。

お世話になった久井さん、高橋さんには厚く御礼申し上げたい。

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