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職務経歴書の書き方

職務経歴書サンプル 営業・管理部門系(詳細版)

1994年4月

一部上場大手流通業(大手百貨店)へ入社
ストアオペレーション課に配属

この課は各店(当時で渋谷店、池袋店他全国に10店舗)の営業成績分析、売れ筋店舗及び商品に関する調査、競合他店の情報収集や分析、及び成績不振店舗と新規店舗の入替等、営業を統括する15名ほどの部門でした。

私は、分析のためのローデータ-作成、新聞・雑誌・聞き取りによる流行情報の収集および競合他店の実地調査等を担当いたしました。

「何をすれば売上があがるのか」ということを全社的に必死に模索しており、そのため当時を振り返ると、毎日外回りの調査・情報収集、データ、資料作りの繰り返しで、自分でも何をしているのかよく訳がわかっていなかったと思いますが、業務量だけは多く、働くということは楽ではないという意識が植え付けられました。

1995年4月

同池袋店 営業2部に異動

かねてより希望していた営業への配転希望が通り池袋店に異動になりました。

池袋店は最大のテナント数(約300店舗)があり売上高はNo.1でしたが、一方建物の老朽化、古くからある店舗と新規店舗の混在による統一感の欠如など様々な問題も抱えておりました。

ここでの私の業務は、各店統一のテーマに基づいた企画営業(クリスマス、バレンタインセール等)、広告、イベント開催といったセールスプロモーションでした。

各店舗の店長との交渉に苦労し、また企画したイベントやセールの不発など、それまで経験したことのない辛さも多少なりとも味わいましたが、初めて現場に出たという喜びがあり、それまでと違い日々変化していく環境の中で働くことにやりがいを感じておりました。スタッフは私の他社員1名、アルバイト数名の体制で、企画立案・立合い・報告書作成を日々行っていましたが、残念ながら体がついて行かず2ヶ月間休み無しの状態が続いた後、体調を崩し1996年7月に退社いたしました。

1997年1月

大手マンション建設会社に入社

半年ほど休養を取り、体調も万全となったので再就職を目指し、大手マンション建設会社に入社いたしました。デベロッパーというスケールの大きな仕事をしてみたかったのと同時に、当時CI変更を行った直後で、若々しく活気がある会社との印象を受けたためです。

私が配属された事業部は資産家を対象に、節税及び投資用不動産商品を扱っているセクションで、私は小口化商品を扱う営業部に配属となりました。

当時扱っていた小口化商品とは、高額の不動産を5千万~1億円程度の小口に分割販売し、節税効果及び売却時の利益を得るという仕組みのもので、業界でもまだ新しい動きでした。

小口化商品営業部は12~13名規模で、商品作りから、契約書の作成、広告、販売、管理について信託銀行・会計事務所との打合せ、また米国不動産事情の理解、税務知識の習得など、やるべきこと覚えるべきことがたくさんあり、無我夢中でした。

1998年3月ころ、建設省及び小口商品を扱っているデベロッパー及び販売会社7社で「小口化商品シンジケーション」が発足し、上司より指名を受けメンバーとして参加するようになりました。非常に多忙でしたが、充実した時期でした。

所属期間中に、私の部で上げた実績は、商品数7、総口数約400、総売上250億円程でした。

1998年7月

同グループ会社 管理部に異動(出向)

小口化商品の管理運営を名目委託していた休眠会社が、社内の事情により活動を再開し、管理業務を引き続き行いながら、先輩1名と共にグループ会社の管理部に出向になりました。

総数13名という小所帯でしたので、実際には小口商品の管理のみを担当するわけにはいかず、経理、総務、社長秘書、その他営業・企画の雑用等何でも行いました。

経理は初めての業務でしたが、経費の処理から始め、翌年3月には決算業務に携わるようになりました。

秘書業務に関しては、社長が既に第一線を退いておりましたので、スケジュール管理、アポイントメントが中心でしたが、一方で、社長個人の確定申告書の作成、結婚式の仲人スピーチの原稿書きなども、また裁判での返答用原稿の作成なども、行ったこともあります。

小口商品管理については、顧客数700名の年2回の配当、日本及び米国での確定申告用資料の作成業務を担当いたしました。事業部時代に比べると業務範囲が狭まり、また経理知識を得たことで、より細かな顧客対応ができるようになりました。海外現地法人や会計事務所と打合せする機会も増え「小口化商品」に関する知識・理解は飛躍的に深まりました。当初は顧客から、「女性では話にならない」というようなことを多々言われましたが、次第に指名で問合わせ等が来るようになり、自分自身の成長を実感したこともありました。

2000年7月

同グループ会社 営業部営業事務に異動(出向)

同年6月に社内結婚をし、規定により異動となりました。

ここでは自社以外のゼネコン・サブコンへの営業の事務全般、契約資料の管理、工事ごとの入出金管理(売先から代金回収、仕入先への代金支払)を担当しました。営業担当が4名と少ないうえ、それ以前に事務処理を担当していたのが派遣社員であったためか、統一した処理方法・マニュアルが全くない状況で、まず処理のためのルール作り、方法の確立から始めなければなりませんでした。

幸い当初は売り先、取扱高とも少なかったため、日常業務に追われることなく取組むことが出来ました。また、建設業界の仕組み、契約内容、独特の支払方法、取扱い工種・製品に関する基礎知識等を学ぶことができました。またこの時期、営業から相談を受け、取引先の社長に面談の上、相続税対策として小口化商品を紹介、ご購入いただいたこともありました。

会社の業種が好調だったため、1年ほど経過すると徐々に人員が増え始め、出向当初の13名から現在は20名になりました。

自社以外の売先も増え、1人では処理しきれなくなったためスタッフを2名増やしてもらい、それと同時に営業事務も一部担当するようになりました。

また、契約内容の可否や入出金方法等について営業から相談を受けるようなり工事現場や取引先との契約後の交渉ごとも増え、営業事務としての業務の確立ができました。

2005年4月

同グループ会社 経理部に異動(出向)
経理担当チーフを拝命

前年の10月に経理担当者が本社に異動になり、その後の担当者が7月に退職することになったため、管理部(実質経理部)に担当替えになると共にチーフ職に任命されました。

スタッフは以前からの担当者1名と退職予定者1名及び4月から契約の62才の契約社員1名、計3名でした。異動して驚いたことは、経理部においても統一マニュアルといったものがなく、出納のスケジュールにあわせ各人が日常業務をこなしているといった状況でした。また、それまで会計監査の対象外だったためか2005年3月期の決算は、日頃の準備不足が露呈しておりました。

したがってここでもまた、組織作りと処理方法の見直し、スケジュール管理、社内外との業務調整といったところから始めなくてはなりませんでした。 

同年7月、A社が会社更生法適用の申請を発表しました。自社の債権は3億円を超えていました。本社への報告資料作成、事後処理に関する打合せに追われるなか、続いて月末にB社が会社更生法を申請しました。今度は、債権額も比較的少なく、ある程度予想していたためかさほど動揺はしませんでした。この2件を通じて、全社で与信管理体制を強化すると共に、業容拡大の見直しの動きが出てきました。その一方で建設業界全体が厳しい選別の時代に入り、自社も資材調達が一部スムーズにいかなくなり始めました。

7月~9月の3ヶ月間は、仕入先各社からの問合せの対応、営業部から契約内容の変更に関する相談、営業を通じての情報収集、与信管理資料の作成等に対応する日々が続きました。

11月に入り中間決算も一段落した時期、営業部より事務処理の効率化について相談を受けました。他社売りが飛躍的に伸び、また事務処理担当が派遣社員になったため、従来の方法では処理しきれないということでした。経理としても、営業から回ってくる資料にミスが多く出戻り作業に手を焼いていましたので、OA化を導入すべく上席に相談いたしました。3億円を超える事故があった直後でしたので決済が下りるかどうか不安がありましたが、何とか承諾を得られ、本社に議案をあげ、グループ内のシステム部門とプロジェクトを組みました。各部間データの一元化及び経理業務の自動化を図りソフトの開発を進めると共に、社内LANを導入し、各人のパソコンへの取組体制作り、情報の共有化を促進いたしました。1月~4月は日常業務のチェックの他に決算業務、OA化準備等、非常に多忙な日が続き、その日のうちに帰れることは希な上、土日も出勤せざるを得ない状態が続きましたが、ここで頑張れば4月以降軌道に乗せる事ができると思い、さほど疲労を感じることはありませんでした。

またこの時期、業界で不安を噂されるゼネコンの手形約3億円を所有していましたが、本社がそのゼネコンに債務を持っておりましたので、上席と相談の上、債権債務の相殺ができるとの主旨で、グループ会社の本社に対する債務をその手形で返済することで、リスクヘッジを図ることができました。

5月になり、2006年3月期の決算はほぼ終わりました。懸念材料の債権も予定通り償却することができ、また会計監査においても日頃の取組みが効を奏し、特別な問題点の指摘はありませんでした。システム導入も順調に進み、各部ケアレスミスが激減し、残業時間の大幅短縮も達成できました。経理に異動してからの1年間はそれまでの中で一番主体的に働いたという時期であったと思います。

現在に至る

以上 冗長になった部分もありますが、私の職務経歴を述べさせていただきました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
私自身としては、新しいことに抵抗がなく、臨機応変の対応ができる性格だと思っております。宜しくお願い申し上げます。

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